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神社旧村社 江東区

富賀岡八幡宮

とみがおかはちまんぐう

別名:元八幡(もとはちまん)、元八幡宮(もとはちまんぐう)

この神社について
富賀岡八幡宮(とみがおかはちまんぐう)は、江東区南砂にある神社で、「元八幡(もとはちまん)」の名でも親しまれています。旧砂村新田(すなむらしんでん)の鎮守(ちんじゅ)で、深川の富岡八幡宮の元宮と伝わります。境内には、江東区指定有形民俗文化財の「砂町の富士塚」があります。

歴史・由来

富賀岡八幡宮を理解する鍵は、「元八幡」という通称にこめられた、深川の富岡八幡宮とのつながりです。 【創建の伝え】伝承では、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(749)に、藤原豊成(ふじわらのとよなり)が下総(しもうさ)へ向かう際に創建したと伝わります。 【元八幡の由来】寛永(かんえい)年間(1624〜1644年)のはじめに、この地にまつられていた八幡神を深川へ移し、富岡八幡宮になったと伝えられています。寛文(かんぶん)5年(1665)には、この地を「元八幡」とよぶようになったといいます。一方、『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』は、深川の富岡八幡宮の神体がもとこの近くにあったという言い伝えから生まれた話ではないか、と記しています。 【砂村新田の鎮守】江戸時代にこの一帯が砂村新田として開かれると、当社はその鎮守となりました。もとの別当寺(べっとうじ=神社を管理した寺)は永代寺(えいたいじ)です。明治43年(1910)には、砂村永代新田の田守稲荷神社(たもりいなりじんじゃ)を合祀(ごうし)しました。 【災害と再建】水害や、昭和20年(1945)の東京大空襲で被害を受け、戦後は仮殿(かりでん)で復旧しました。昭和36年(1961)に、現在の社殿が再建されています。

見どころ・特徴

【砂町の富士塚】社殿の裏にある、江東区指定有形民俗文化財の富士塚です。富士山への信仰(富士講)の人びとが築いたもので、天保(てんぽう)4年(1833)までに造られたと考えられています。富士山の登山道を模した吉田口・大宮口・須走口(すばしりぐち)や、胎内(たいない)とよばれる横穴があります。昭和8年(1933)の水害のあと、溶岩で表面を固め、昭和37年(1962)に今の場所へ移されました。 【浅間神社(せんげんじんじゃ)】富士塚とともに祀られる境内社です。 【元八幡旧跡の碑】境内には、「元八幡」の由来を伝える「元八幡旧跡」の碑があります。 【砂村新田を開いた人の碑】砂村新田を開拓した人をたたえる碑が建っています。 【神輿庫(みこしこ)】お祭りで使う神輿と獅子頭(ししがしら)が納められています。 【広重の「名所江戸百景」】江東区の掲示によると、歌川広重の『名所江戸百景』などに、当時のこのあたりの様子が描かれています。 【訪ねかた】富士塚は、現在は登ることができない状態だと伝えられています。外から見学し、静かにお参りください。
年中行事・お祭り
【例大祭】例年8月。20日とする資料もあります。神輿が繰り出されます。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
社格
旧村社
創建
伝承では、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年(749)に、藤原豊成(ふじわらのとよなり)が創建したと伝わります。
ご利益
武運長久開運招福厄除け商売繁盛
テーマ
南砂下町江戸名所広重古社
基本情報
住所
東京都江東区南砂7-14-18
参拝時間
参拝は自由です。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【電車】東京メトロ東西線「南砂町(みなみすなまち)駅」2a出口から徒歩約10分。 【バス】都営バス(東陽町駅と亀戸駅を結ぶ路線)の「元八幡」バス停の近く。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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