TabiShiri
城昭和32年(1957)9月30日、広島県指定史跡に指定されている。 尾道市

長崎城

ながさきじょう

この城について
因島南端、土生港(はぶこう)を見下ろす丘に築かれた、因島村上(いんのしまむらかみ)水軍の最初の本拠地。南北朝時代に村上師清(むらかみもろきよ)が拠点とし、その子孫が約180年にわたって居城とした。現在は城跡にホテルが建ち、遺構のほとんどは失われている。

歴史・由来

長崎城を理解する鍵は、この城が村上水軍のどこかの支城ではなく、因島村上氏が最初に根を下ろした本城(ほんじょう)だったという点にある。 伝承によれば、瀬戸内海に進出した村上師清(むらかみもろきよ)が、因島南端の長崎の岬に最初に拠点を築いた。その子孫のひとり村上吉豊(むらかみよしとよ)が因島村上氏の祖となり、以後ここが約180年間、歴代当主の本拠地であり続けた。 長崎城は、海上を行き交う船を見張り、通行料(関銭、せきせん)を徴収する役割も担っていたと考えられている。当時の村上水軍は「海賊」と呼ばれることが多いが、実態は航行の安全を保証する代わりに通行料を得る、海上の交通秩序を担う勢力だった。 永禄年間(1558から1570年ごろ)、6代当主・村上吉充(むらかみよしみつ)が向島(むかいしま)の余崎城(よさきじょう)、続いて青木城(あおきじょう)へと本拠を移したことで、長崎城は本拠としての役目を終えたと伝えられる。背後の山にある荒神山城(こうじんやまじょう)跡は、長崎城の詰城(つめじろ、有事の際に立てこもる最後の砦)だったと考えられている。 現在、城跡にはホテル「ナティーク城山」が建ち、周辺の埋め立てもあって、当時の地形や遺構の多くは失われている。それでも海側から見ると、石垣の一部が今も確認できるという。

見どころ・特徴

【海城の面影】城跡そのものの遺構はほとんど残っていないが、岬の地形そのものが、かつての「海城」の姿を伝えている。海側から見ると、石垣の一部が今も確認できるという。 【ホテルからの眺め】城跡には現在、ホテル「ナティーク城山」が建っている。テラスやロビーからは、土生港(はぶこう)方面を一望できる。 【詰城とセットで】背後の荒神山(こうじんやま)には、長崎城の詰城だったと伝わる荒神山城(こうじんやまじょう)跡があり、荒神社の境内になっている。あわせて訪ねると、海城と詰城がセットで機能していた当時の姿をイメージしやすい。 【城跡めぐりの一つとして】因島には、長崎城のほかにも青木城(あおきじょう)、青影城(あおかげじょう、青陰城とも書く)、美可崎城(みかざきじょう)の跡が残り、因島観光協会の散策マップでそれぞれのコースが紹介されている。村上水軍の足跡をたどりたい人は、あわせて訪ねてみるとよい。
学び・特徴
指定・選定
昭和32年(1957)9月30日、広島県指定史跡に指定されている。
築城
伝承では南北朝時代、村上師清(むらかみもろきよ)が因島で最初に拠点とした城とされる。正確な築城年は分かっていない。
テーマ
村上水軍瀬戸内海海城
基本情報
住所
広島県尾道市因島土生町
アクセス
車なら、しまなみ海道の因島南(いんのしまみなみ)ICから約12分。電車とバスなら、JR山陽本線尾道駅から因島行きバスで土生港(はぶこう)前まで行き、島内バスに乗り換えて長崎桟橋前で下車する。城跡そのものはホテルの敷地内にあるため自由に歩き回ることはできないが、桟橋そばの市営長崎駐車場(立体駐車場、30分以内は無料)を利用すれば、海側から城跡の石垣を眺めることができる。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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