この城について
南北朝期、南朝方の武将・南部師行(なんぶもろゆき)が建武元年(1334)に築城。「南朝方の根本となる城」という意味で「根城」と名付けられたと伝わる。約300年間、八戸南部氏の本拠として機能した中世の平城で、日本100名城(5番)に選ばれている。本丸主殿が史跡公園として復元整備されている。
歴史・由来
根城(ねじょう)を理解する鍵は、「南朝方の根本の城として築かれた」という名前の由来と、「約300年の時を経て、発掘調査にもとづき実物大で復元された」という近代の歩みにある。
建武元年(1334)、南朝方の武将・南部師行(なんぶもろゆき)が、馬淵川(まべちがわ)南岸の段丘の上にこの城を築いた。「南朝方の根本となる城」という意味で「根城」と名付けられたと伝わる。師行は後醍醐天皇の建武の新政を支え、北畠顕家(きたばたけあきいえ)のもとで奥州の経営にあたったが、延元3年(1338)、顕家と共に和泉国石津(いずみのくにいしづ、今の大阪府堺市)の戦いで戦死した。師行の子孫はその後も奥州に残り、根城南部氏(のちの八戸南部氏)として戦国時代まで続いた。
天正20年(1592)、豊臣秀吉が発した奥州諸城破却令により、根城も防御のための施設を失った。それでも八戸南部氏の本拠としての役割は続いたが、寛永4年(1627)3月、盛岡藩主・南部利直(なんぶとしなお)の命により、当主の八戸直義(はちのへなおよし)が遠野(今の岩手県遠野市)へ転封となり、根城は廃城となった。これにより根城南部氏は「遠野南部氏」と呼ばれるようになり、本城である盛岡南部氏(盛岡城)に対する支族として位置づけられた。
昭和16年(1941)に国の史跡に指定され、発掘調査にもとづいて整備が進められた。昭和53年(1978)から約11年をかけた整備の末、平成元年(1989)、本丸主殿・板蔵・工房などの中世武家屋敷が実物大で復元され、現在の「史跡根城の広場」となった。
見どころ・特徴
【復元された本丸主殿】寄棟造の板葺き屋根、土壁、囲炉裏のある室内など、中世武家屋敷の姿を実物大で再現。安土桃山時代の根城の様子をもとにしている。
【八戸市博物館】史跡に併設され、根城南部氏の遺物や八戸地方の歴史を学べる。
【桜の名所】4月下旬の桜と復元主殿の対比が美しく、花見の名所としても親しまれている。
【日本100名城】5番に選ばれている。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(昭和16年指定)
築城
建武元年(1334)、南部師行による築城
テーマ
日本100名城
基本情報
住所
青森県八戸市根城東構35-1
アクセス
JR八戸駅から市営バス・南部バス(田面木経由)で約12分、「根城」バス停下車、徒歩約1分。八戸自動車道「八戸インターチェンジ」から車で約10分。無料駐車場あり(一般24台、大型バス5台)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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