この城について
「霞ヶ城(かすみがじょう)」とも呼ばれる、二本松藩の丹羽(にわ)氏10万石あまりの城です。
室町時代に畠山氏が築いたのが始まりで、幕末の戊辰(ぼしん)戦争では少年たちが戦った「二本松少年隊」の悲劇の舞台になりました。今は霞ヶ城公園として整えられ、石垣や復元された箕輪門(みのわもん)を見ることができます。国の史跡で、日本100名城の11番です。
歴史・由来
【畠山氏の城】
応永21年(1414年)、畠山満泰(はたけやまみつやす)が白旗ケ峯(しらはたがみね)に住まいを移し、二本松城と名づけたのが始まりです。畠山氏はのちに二本松氏とも呼ばれました。
【伊達政宗と城主の移り変わり】
天正14年(1586年)、伊達政宗に攻められて二本松氏は滅びました。その後、豊臣秀吉の奥州仕置(おうしゅうしおき)を経て、蒲生氏や上杉氏の城を支える城(支城)となり、さらに加藤氏が城主となりました。本丸の石垣の下からは、加藤氏の時代(寛永4年から20年、1627年から1643年)の石垣も見つかっています。
【丹羽氏の二本松藩】
寛永20年(1643年)、白河から移ってきた丹羽光重(にわみつしげ)が、二本松藩10万700石の藩主として城に入りました。以後、明治維新まで丹羽氏の城でした。
【戊辰戦争と二本松少年隊】
慶応4年(1868年)の戊辰戦争で、二本松城は新政府軍に攻められ、わずか1日の戦いで落城しました。このとき、13歳から17歳の少年たち(最年少は12歳)が戦いに加わり、「二本松少年隊」と呼ばれています。22歳の隊長・木村銃太郎(じゅうたろう)は大壇口(おおだんぐち)の戦いで重い傷を負って亡くなり、多くの少年が命を落としました。
【国の史跡に】
平成19年(2007年)に国の史跡に指定されました。令和6年(2024年)には、藩校「敬学館(けいがくかん)」の跡なども史跡に加えられています。
見どころ・特徴
【箕輪門】
昭和57年(1982年)に、附櫓(つけやぐら)とともに復元された城の正門です。白い壁と石垣の組み合わせが、二本松城のシンボルになっています。
【本丸の石垣】
平成5年から7年(1993年から1995年)にかけて、本丸の石垣が修復・復元されました。山の上の本丸から、城下町の眺めを楽しめます。
【二本松少年隊の群像】
城の入口近くには、出陣する少年隊の姿をかたどった群像があります。隊長の木村銃太郎や少年たちの供養塔は、丹羽家の菩提寺(ぼだいじ)・大隣寺(だいりんじ)にあります。
【洗心亭と智恵子抄の碑】
洗心亭は、藩主の時代に城の庭園にいくつかあった茶室の一つで、二本松市の文化財です。高村光太郎の『智恵子抄』の一節「あれが阿多多羅山(あたたらやま)、あのひかるのが阿武隈川」を刻んだ碑もあります。
【桜と菊人形】
霞ヶ城公園は桜の名所として知られ、秋には「二本松の菊人形」も開かれます。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡・日本100名城11番
築城
応永21年(1414)、畠山満泰が築城
テーマ
日本100名城国史跡石垣桜
基本情報
住所
福島県二本松市郭内3-232
見学時間
城跡(霞ヶ城公園)は自由に見学できます。日本100名城のスタンプは、にほんまつ城報館(1階 二本松歴史館)にあります。開館時間は9時から17時まで、月曜休館です。JR二本松駅構内の観光案内所にもスタンプがあります。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR東北本線「二本松駅」から徒歩約20分
車は東北自動車道「二本松IC」から約5分
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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