この城について
上杉謙信(うえすぎけんしん)の本拠だった山城。標高約180mの春日山山頂を本郭(ほんかく、中心となる曲輪)とし、複数の曲輪・堀切を巧みに配した、戦国期を代表する山城の一つ。「日本100名城」の一つに数えられ、国の史跡に指定されている。
歴史・由来
春日山城(かすがやまじょう)を理解する鍵は、上杉謙信という一人の武将が約30年にわたって本拠とし続けた城である、という点にある。
築城の起源は南北朝時代にさかのぼるとも伝わるが、本格的な整備が進んだのは、越後国守護代(えちごのくにしゅごだい)・長尾為景(ながおためかげ、謙信の父)の時代から。天文17年(1548)、19歳の謙信が家督を継ぎ、天正6年(1578)に没するまでの約30年間、ここを本拠として越後(えちご)を治めた。
謙信は、武田信玄(たけだしんげん)と5度にわたって戦った川中島の戦い(かわなかじまのたたかい、1553年〜1564年)でとくに知られる。信玄が塩止めにあった際に塩を送ったという「敵に塩を送る」の逸話も広く語り継がれているが、同時代の確かな記録は乏しく、後世に形づくられた話である可能性が指摘されている。
謙信の死後、養子の景勝(かげかつ)と景虎(かげとら)の間で家督をめぐる争い(御館の乱、おたてのらん)が起こり、上杉景勝が勝利して跡を継いだ。慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命により上杉景勝は会津120万石へ転封となり、越後には堀秀治(ほりひでじ)が入った。堀氏はしばらく春日山城を拠点としたが、山城としての不便さから、春日山のふもと近くに新たに福島城(ふくしまじょう)の築城を進め、秀治の死後、子の堀忠俊(ほりただとし)が慶長12年(1607)に福島城を完成させた。春日山城はこのときに廃城となった。
現在は国の史跡に指定され、広大な城域に堀切・曲輪・空堀などの遺構が良好な状態で残っている。
見どころ・特徴
【山城の遺構めぐり】
ふもとから本丸跡(ほんまるあと)へ向かう道には、空堀(からぼり)・曲輪跡(くるわあと)・井戸跡・毘沙門堂跡(びしゃもんどうあと)など、戦国期の山城の遺構が次々に現れる。
【謙信公銅像】
本丸の手前、山中の広場に立つ上杉謙信の銅像。かつての城下を見渡す場所に据えられている。
【毘沙門堂】
謙信が出陣の前に必勝を祈ったと伝わる、毘沙門天(びしゃもんてん)信仰ゆかりの堂。現在の建物は戦後の再建。
【御城印】
春日山城の御城印は、上越市埋蔵文化財センターで購入できる(ものがたり館では扱っていない)。
【春日山城跡ものがたり館】
山麓にある上越市の資料館。無料で見学でき、城の構造や上杉氏の歴史を学べる。
【あわせて訪ねたい】
謙信が幼少期に学んだ林泉寺(りんせんじ)、春日山の名の由来とされる春日神社(かすがじんじゃ、天徳2年/958年創建と伝わる)とあわせて訪れたい。
【訪ねかた】
本丸跡までは本格的な山道を歩くことになり、40分前後かかったという記録もある。夏は虫や暑さ、冬は積雪による閉鎖に注意し、春や秋の天候の良い日を選ぶのがおすすめ。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(昭和10年/1935年8月27日指定、その後も追加指定)。日本100名城(第32番)に選定。
築城
築城の起源は南北朝時代と伝わるが、確かな記録はない。本格的な整備は、越後国守護代・長尾為景(謙信の父)の時代に進んだとされる。
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
住所
新潟県上越市中屋敷字春日山
見学時間
春日山城跡ものがたり館は、午前9時から午後4時30分まで(月曜定休、12月〜2月は休館)。城跡自体には特に時間の定めはないが、積雪期は閉鎖されることがある。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン「春日山」駅から徒歩約20分。頸城バス「ものがたり館入口」下車すぐ。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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