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城国指定史跡/日本五大山城/日本100名城(49番) 長浜市

小谷城

おだにじょう

別名:小谷城跡(おだにじょうあと)

この城について
滋賀県長浜市の小谷山(おだにやま、標高約495m)に築かれた山城(やまじろ)の跡です。戦国時代に北近江(きたおうみ、今の滋賀県北部)を治めた浅井(あざい)氏三代の本拠地で、浅井長政(あざいながまさ)とお市の方、そして浅井三姉妹ゆかりの城として知られます。国の史跡に指定され、日本五大山城の一つ、日本100名城(49番)にも選ばれています。

歴史・由来

この城を理解する鍵は、「織田信長の妹を妻にしながら、信長と戦うことになった浅井長政の城」という点にあります。 【築城】大永(たいえい)3年から4年(1523年から1524年)ごろ、浅井亮政(あざいすけまさ)が築いたという説が有力です。その後、子の久政(ひさまさ)、孫の長政と三代にわたる本拠地になりました。 【信長との同盟と決裂】長政は織田信長の妹・お市の方を妻に迎え、信長と同盟を結びました。しかし元亀(げんき)元年(1570年)、信長が越前(えちぜん、今の福井県)の朝倉氏を攻めると、長政は信長から離れ、朝倉氏の側につきます。同じ年、姉川(あねがわ)の戦いで織田・徳川の連合軍と戦いました。 【落城】信長はおよそ4年にわたって小谷城を攻め続けました。天正(てんしょう)元年(1573年)8月27日、城の中ほどにある京極丸(きょうごくまる)が落ち、本丸と小丸のあいだが断ち切られます。小丸にいた久政はこの日に自害し、長政も9月1日、本丸の袖曲輪にあった赤尾屋敷(あかおやしき)で自刃しました(日付は当時の暦によります)。 【浅井三姉妹】お市の方と3人の娘は城を出て、信長のもとに保護されました。長女の茶々(ちゃちゃ)はのちに豊臣秀吉の側室・淀殿(よどどの)に、次女の初(はつ)は京極高次(きょうごくたかつぐ)の正室に、三女の江(ごう)は徳川第2代将軍・秀忠の正室になります。 【廃城】落城後、城は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に与えられました。しかし秀吉は琵琶湖のほとりに長浜城を新しく築いて移り、小谷城は天正3年(1575年)ごろに廃城となりました。

見どころ・特徴

【尾根に連なる曲輪】城は小谷山から南へのびる尾根に沿って、南北に長く築かれています。番所(ばんしょ)跡、御茶屋敷(おちゃやしき)跡、御馬屋敷(おうまやしき)跡、大広間、本丸、中丸、京極丸、小丸、山王丸(さんのうまる)と、曲輪の跡が次々に現れます。山頂には大嶽(おおずく)と呼ばれる砦の跡もあります。 【石垣】土の城が中心だった時代の城ですが、本丸や山王丸などには早い時期の石垣が残っています。 【赤尾屋敷跡】長政が最期を迎えたと伝わる場所です。 【小谷城戦国歴史資料館】山のふもとにある資料館です。浅井氏三代や小谷城の構造について、肖像画や出土品で紹介しています。日本100名城のスタンプもここに置かれています。開館は9時から17時(入館は16時半まで)、火曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始は休館です。
作品ゆかり
2011年のNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』で、浅井三姉妹の生まれ育った城として描かれました。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡/日本五大山城/日本100名城(49番)
築城
大永3年から4年(1523年から1524年)ごろ、浅井亮政が築いたとされる。天正元年(1573年)落城、天正3年(1575年)ごろ廃城。
テーマ
日本100名城山城
基本情報
住所
滋賀県長浜市湖北町伊部
見学時間
城跡は散策自由。小谷城戦国歴史資料館は9時から17時(入館は16時半まで)、火曜日と年末年始は休館。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR北陸本線「河毛(かわけ)駅」から小谷城戦国歴史資料館まで徒歩約25分(タクシーで約5分)。車は北陸自動車道「小谷城スマートIC」から約5分、「長浜IC」から約15分。資料館に駐車場あり。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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