TabiShiri
城 御城印日本100名城(52番)。 近江八幡市

観音寺城

かんのんじじょう

この城について
近江源氏・佐々木六角氏の本拠。標高約432mの繖山(きぬがさやま)に築かれた、戦国期最大級の山城の一つ。山全域に石垣を巡らせた極めて稀有な「総石垣の山城」で、安土城築城に影響を与えたとされる。

歴史・由来

観音寺城(かんのんじじょう)を理解する鍵は、「城」であると同時に、観音正寺(かんのんしょうじ)という古刹を抱いた山そのものだという点にある。 繖山(きぬがさやま、標高約433メートル)には、観音寺城よりはるかに古く、聖徳太子の開基と伝わる観音正寺があった。鎌倉時代以来この地を支配した近江源氏・佐々木六角氏(ろっかくし)は、観音正寺を庇護しながら、山全体を城郭として整備していった。観音寺城という名は、この観音正寺にちなんでつけられたものである。 築城の起源は南北朝期と伝わり、建武2年(1335)には六角氏頼(うじより)がこの山に籠もったとされる。本格的な石垣整備は戦国期、鉄砲による攻撃に備えて六角義賢(よしかた、のちの承禎〈じょうてい〉)の時代に大々的に進められたとされ、山全域に石垣を巡らせた「総石垣の山城」という、安土城に先立つ戦国期としては特異な姿になった。 永禄6年(1563)、家臣・後藤賢豊(ごとうかたとよ)が主君義賢に誘殺された「観音寺騒動」が起こり、多くの家臣が六角氏から離反した。六角氏はこの内紛で大きく力を落とす。 永禄11年(1568)、織田信長が足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて上洛する際、観音寺城の支城であった箕作城(みつくりじょう)などを攻略した。これを見た義賢・義治(よしはる)父子は、観音寺城を守らずに放棄し、甲賀(こうか)の山中へ逃れた。観音寺城はこの後、廃城となった。 信長は観音寺城の総石垣構造に強い印象を受け、のちに築く安土城(すぐ近くの山)の構想に影響を与えたとする説がある。

見どころ・特徴

【山全体を覆う総石垣】本丸・平井丸・池田丸・伝二の丸など、郭(くるわ)ごとに石垣が組まれ、広大な城域のほぼ全域に石垣が巡る。安土城に先立つ戦国期としては際立った石積み技術の証で、城好きの間でもよく知られた見学コースになっている。 【観音正寺とセットで】繖山の中腹には、観音寺城よりも古い天台宗系単立の古刹・観音正寺(西国三十三所第32番札所)がある。聖徳太子の開基と伝わり、観音寺城の名もこの寺にちなむ。 【安土城と合わせて】すぐ近くの山には、観音寺城の総石垣に影響を受けたとされる安土城がある。安土城考古博物館も合わせて訪れると、戦国期の近江の歴史を一日でたどれる。
学び・特徴
指定・選定
日本100名城(52番)。
築城
築城の起源は南北朝期と伝わり、建武2年(1335)に六角氏頼が籠もったとされる。本格的な総石垣化は戦国期、六角義賢の時代に進められた。永禄11年(1568)、織田信長の上洛戦で廃城となった。
基本情報
住所
滋賀県近江八幡市安土町石寺
アクセス
JR琵琶湖線「安土」駅から徒歩で向かう場合は、本丸まで約70分の登山道。途中、観音正寺側の受付(8時~16時30分)で入山料が必要(観音正寺経由500円、桑実寺〈くわのみじ〉経由300円)。 車の場合は名神高速道路「八日市(ようかいち)IC」から約20分(正確な所要時間は情報源により差があります)。観音寺山林道(有料、冬期閉鎖)を使うと観音正寺の近くまで車で上がれる。 御城印は観音正寺の受付・納経所(8時~16時30分)で1枚350円、2種セット700円で販売。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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