この城について
金剛山の中腹にある、楠木正成(くすのきまさしげ)の山城の跡です。鎌倉時代の終わりの元弘3年(1333)、正成はわずかな兵でこの城に立てこもり、鎌倉幕府の大軍を約100日間にわたって防ぎました。国の史跡で、日本100名城の第55番に選ばれています。本丸の跡には、正成と子の正行(まさつら)をまつる千早神社が建っています。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、山の地形を生かして大軍を防いだ楠木正成の戦い方です。
【楠木正成の城】
後醍醐天皇の側についた楠木正成は、金剛山一帯に赤坂城などいくつもの城を築きました。千早城は、その本拠の背後の山中に築かれた、最後のよりどころとなる城でした。城の最も高いところは標高673メートルで、まわりを深い谷に囲まれています。
【約100日の籠城戦】
元弘3年(1333)、鎌倉幕府の大軍がこの城を取り囲みました。軍記物語の『太平記』によると、幕府軍は「百万」、守る正成の軍は千人足らずだったとされます。正成は、甲冑を着せた藁人形を並べて敵をおびき寄せたり、水鉄砲で油を注いで橋を焼いたりと、さまざまな工夫で城を守り抜いたと伝えられています。幕府軍がこの城に引きつけられている間に各地で倒幕の動きが広がり、やがて鎌倉幕府は滅びました。
【南北朝の動乱と落城】
その後も千早城は楠木氏の城として使われ続けましたが、明徳3年(1392)正月、畠山基国(はたけやまもとくに)に攻められて落城しました。楠木氏がこの城を守ったのは61年間にわたります。昭和9年(1934)、国の史跡に指定されました。
学び・特徴
指定・選定
国史跡(昭和9年指定)。日本100名城 第55番
築城
鎌倉時代末期、楠木正成が築城。元弘3年(1333)に籠城戦
テーマ
日本100名城山城国史跡武将ゆかり
基本情報
住所
大阪府南河内郡千早赤阪村千早1130
見学時間
城跡は見学自由。日本100名城スタンプの設置場所「金剛山 山の豆腐」は9時から17時まで。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
近鉄長野線「富田林駅」または南海高野線「河内長野駅」からバスで「金剛登山口」下車、徒歩約20分から30分(石段の多い山道を登ります)。駐車場あり。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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