TabiShiri
城 高市郡高取町

高取城

たかとりじょう

この城について
日本三大山城の一つ(岩村・備中松山と並ぶ)。 標高約583mの高取山山頂に築かれた、比高390m(麓から本丸までの高低差)が日本一とされる近世山城。 江戸期は植村家2万5千石の居城。「巽の高取雪かと見れば、雪でござらぬ土佐の城」と謳われた。

歴史・由来

高取城(たかとりじょう)を理解する鍵は、「比高390m、日本一の山城」という規模と、「城主がめぐるましく替わった末に植村家14代が明治まで続いた」という江戸期の歩みにある。 築城の起源は南北朝期、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)による砦と伝わる。 当初は越智氏の本城・貝吹山城(かいぶきやまじょう)の支城であったが、戦国期には本城となった。 織田信長により一時廃城とされたが、天正12年(1584)、筒井順慶(つついじゅんけい)が本格的な城塞に改築。さらに天正17年(1589)、豊臣秀長(とよとみひでなが)の家臣・本多利久(ほんだとしひさ)が秀長の命を受けて新たな縄張りで大改修を行い、現在に残る総石垣の壮大な山城の基礎ができた。 江戸時代に入ってからも城主は本多家が務めたが、寛永14年(1637)、嗣子がなく本多家は断絶した。 その後3年ほどは桑山一玄(大和新庄藩)・小出吉親(丹波園部藩)による城番時代が続き、寛永17年(1640)、旗本から2万5千石の大名に取り立てられた植村家政(うえむらいえまさ)が入城して高取藩を立藩した。以後、植村氏14代の居城として明治維新まで続いた。 高取城最大の特徴は、麓から本丸までの高低差(比高)が390mに及ぶことで、これは日本一とされる。 江戸時代には「巽(たつみ)の高取雪かと見れば、雪でござらぬ土佐の城」と謳われた。 植村家が前任地の土佐(高取と語感が似る)から移ってきたことを掛け、本丸の白い漆喰の壁が冬の雪のように輝いて遠くからも見えたことを詠んだものと伝わる。 明治の廃城令で建造物は解体されたが、石垣・郭跡は良好に残り、「日本三大山城」のひとつとして今も多くの登城者を集めている。 近年は秋から冬の早朝、雲海に浮かぶ「天空の城」の絶景でも知られるようになった。

見どころ・特徴

【比高日本一の山城】麓から本丸までの高低差390mは、山城の中で日本一とされる。 【登城路に残る郭跡】本丸までの山道には「猿石」「三の丸」「二の丸」「太鼓櫓跡」など複数の郭跡が点在し、近世山城の縄張りの妙を体感できる。 【天守台】山頂の本丸跡の最高所。良好に残る石垣が、高取藩政の威容を伝える。 【山頂からの絶景】奈良盆地・大和三山(耳成山・畝傍山・天香具山)・葛城山系まで一望できる。 【天空の城】秋から冬の早朝、気象条件が整うと雲海に浮かぶ姿が見られ、近年人気のフォトスポットになっている。 【高取町夢創館・壺阪寺とあわせて】山麓の「高取町夢創館」では城の歴史や植村家、「壺坂霊験記」を学べる。近隣の壺阪寺(西国三十三所第6番札所)や土佐街道(藩政期の城下町)もあわせて訪ねたい。
学び・特徴
築城
南北朝期、越智邦澄による砦が起源と伝わる(元弘2年〈1332〉説あり)。天正17年(1589)、本多利久による大改修で現在の姿の基礎ができた
テーマ
日本三大山城
基本情報
住所
奈良県高市郡高取町高取
アクセス
近鉄吉野線「壺阪山」駅から徒歩約60分の本格的な登山道。車の場合は「高取町夢創館」前から登山口へ入る。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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