この城について
関ヶ原の戦いのあと岩国の領主となった吉川広家(きっかわひろいえ)が、慶長13年(1608)に完成させた山城です。錦川(にしきがわ)のほとりにそびえる城山(しろやま)の山頂に築かれましたが、慶長20年(元和元年・1615)の一国一城令(いっこくいちじょうれい)で取り壊され、わずか7年で姿を消しました。いまの天守は昭和37年(1962)に建てられた復興天守で、日本100名城(74番)に選ばれています。
歴史・由来
岩国城を理解する鍵は、「関ヶ原の戦いのあと、広家が毛利家のために動いた結果として、岩国の領主になった」という点です。
【吉川広家(きっかわひろいえ)】
広家は、毛利元就(もうりもとなり)の次男・吉川元春(きっかわもとはる)の子です。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、毛利家の当主・毛利輝元(てるもと)は西軍の総大将に立てられました。広家は西軍が勝つ見込みは低いと考え、東軍の徳川家康(とくがわいえやす)とひそかに連絡をとり、毛利軍が戦場で戦わずにすむよう手配したと伝えられます。
【戦のあと】
戦のあと、家康は毛利家の領地をすべて取り上げる考えだったといわれます。広家の願い出などもあり、毛利家は領地を減らされて周防(すおう)・長門(ながと)の2国に残り、広家は岩国の地を与えられました。
【築城から廃城まで】
広家は慶長6年(1601)ごろから城山の山頂に城づくりを始め、慶長13年(1608)に完成させました。天守は、上の階が下の階より張り出す「南蛮造(なんばんづくり)」という桃山時代らしい姿だったと伝わります。しかし慶長20年(元和元年・1615)、幕府が出した一国一城令(大名は1つの国に城を1つだけ持つという決まり)によって城は取り壊され、完成から7年で役目を終えました。政治の場は、山のふもとの居館に移りました。
【藩としての岩国】
吉川家は江戸時代を通じて岩国を治めました。ただ、毛利家の家臣という立場だったため、岩国は長いあいだ「藩」としては公式に認められず、「岩国領」とよばれました。明治元年(1868)に吉川家が城主格となり、岩国は正式な藩になりましたが、明治4年(1871)の廃藩置県で廃止されました。
【復興天守】
いまの天守は、昭和37年(1962)に建てられた復興天守です。もとの天守台からは約50メートルずれた場所に、錦帯橋(きんたいきょう)を望む景色も考えて建てられました。
見どころ・特徴
【復興天守と眺め】
外観4層・内部6階の天守で、上の階が張り出す南蛮造の姿を見ることができます。天守からは錦帯橋や岩国の城下町が見わたせ、晴れた日には瀬戸内海の島々や宮島も見えるといわれます。
【天守台の跡】
もとの天守台では、平成6年(1994)の発掘調査で礎石(そせき、柱を支えた石)や大量の瓦が見つかっています。復興天守とあわせて、城の位置の違いを見くらべてみてください。
【錦帯橋(きんたいきょう)】
城のふもとの錦川にかかる五連のアーチ橋で、岩国を代表する名所です。ロープウェーに乗る前後に、あわせて訪ねる人が多い場所です。
【御城印(ごじょういん)】
通常版は1枚300円です。
【訪ねかた】
城まで車で上がることはできません。ロープウェーを使うか、登山道(約2キロメートル)を歩いて登ります。ロープウェーは点検日にお休みするため、お出かけ前にご確認ください。
学び・特徴
指定・選定
日本100名城(74番、平成18年・2006年選定)
築城
慶長6年(1601)ごろ着工、慶長13年(1608)完成。吉川広家が築城
基本情報
住所
山口県岩国市横山3
見学時間
9時から16時45分まで(入城は16時30分まで)。
入城料は、大人350円、小学生200円です(団体は大人300円、小学生150円)。ロープウェーの料金は別にかかります。
ロープウェーの点検日はお休みです。
開館時間・料金・休業日は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式の案内でご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR岩国駅からバスで約20分、「錦帯橋」で下車します。そこから徒歩でロープウェーの山麓駅へ向かいます(案内によって徒歩5分から10分と差があります)。
ロープウェーは山麓駅から山頂駅まで約3分です。
車の場合は、岩国ICから約10分で錦帯橋周辺に着きます。城まで車で上がることはできません。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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