TabiShiri
城 御城印 人吉市

人吉城

ひとよしじょう

この城について
人吉城(ひとよしじょう)は、別の名前を「繊月城(せんげつじょう)」「三日月城(みかづきじょう)」といいます。球磨川(くまがわ)沿いの平山城(ひらやまじろ)で、鎌倉時代から明治維新まで、約670年にわたり相良氏(さがらし)が住みました。 国の史跡(しせき)に指定され、日本100名城(にほんひゃくめいじょう)の一つにも選ばれています。

歴史・由来

人吉城を理解する鍵は、鎌倉時代から明治維新まで、同じ相良氏が約670年にわたって住み続けたことにあります。 相良氏は、鎌倉時代に人吉荘(ひとよししょう)の地頭(じとう)となって、この地に入りました。城が築かれたのは正治(しょうじ)元年(1199年)と伝わります。地頭になった年は、建久(けんきゅう)9年(1198年)とも元久(げんきゅう)2年(1205年)ともいわれ、資料によって分かれています。 はじめは山城(やまじろ)として使われ、天正(てんしょう)の時代から、相良氏によって大きな工事が進められました。寛永(かんえい)16年(1639年)に、相良頼寛(さがらよりひろ)のもとで、江戸時代らしい城として完成したとされます。天守(てんしゅ)はつくられず、本丸には護摩堂(ごまどう)があったと伝わります。 江戸時代には、人吉藩(ひとよしはん)の政治の中心になりました。享和(きょうわ)2年(1802年)と文久(ぶんきゅう)2年(1862年)の火事で全部が焼け、一部が建て直されたとされます。 明治4年(1871年)の廃藩置県(はいはんちけん)で、城はなくなりました。西南戦争(せいなんせんそう)では、西郷軍(さいごうぐん)の拠点となり、戦いの舞台にもなりました。 昭和36年(1961年)に国の史跡に指定され、平成元年(1989年)に隅櫓(すみやぐら)、平成5年(1993年)に大手門のそばの多門櫓(たもんやぐら)と続塀(つづきべい)が復元されました。

見どころ・特徴

【石垣と「武者返し(むしゃがえし)」】 球磨川沿いの平山城で、天守はなく、石垣が最大の見どころです。水の手門(みずのてもん)跡と御下門(おしたもん)跡に残る「武者返し」は、石垣の上のほうが外へせり出した、めずらしい形です。西洋のお城づくりの技術の影響を受けたとされています。 城の中は、本丸をのぞいて、城壁や門がすべて石垣でかためられています。 【残る遺構(いこう)と復元された建物】 堀合門(ほりあいもん)や、井戸のある地下室の跡が知られています。平成に復元された隅櫓、多門櫓、続塀も見られます。 【人吉城歴史館(ひとよしじょうれきしかん)】 相良氏700年の歴史や、石垣積み体験、約400年前の地下室の跡などを見学できます。日本100名城のスタンプも、ここで押せます。 【豪雨からの再開】 令和2年(2020年)7月の豪雨で、歴史館は床上浸水(ゆかうえしんすい)の被害を受けました。5年間の休館を経て、令和7年(2025年)7月11日に再開しました。
学び・特徴
指定・選定
国の史跡(昭和36年・1961年指定、平成15年・2003年に追加指定)。日本100名城(No.93)。
築城
正治元年(1199年)に築かれたと伝わります。相良長頼(さがらながより)が人吉荘の地頭になって以来、相良氏がこの城に住みました。寛永16年(1639年)に、江戸時代らしい城として完成したとされます。
基本情報
住所
熊本県人吉市麓町
見学時間
人吉城歴史館は、9時から17時までです。入館は16時30分までです。 休館日は、毎週火曜日(祝日の場合はその翌日)と、12月29日から1月3日です。 日本100名城のスタンプは、休館日でも、職員の方に声をかければ押せます。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
人吉駅から、歩いて約20分です。 車の場合は、人吉IC(インター)から約2.5km(人吉城歴史館まで)です。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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