この城について
別名「臥牛城」。標高325メートル(比高約95メートル)の天神山に築かれた、九州屈指の総石垣の山城。文治元年(1185年)に緒方惟栄(おがたこれよし)が築いたという伝承があり、建武年間(1333から1338年)には志賀貞朝(しがさだとも)が改修・拡張して「岡城」と名付けたと伝わる。滝廉太郎の名曲「荒城の月」の着想の地としても知られる。
歴史・由来
岡城を理解する鍵は、鎌倉時代の築城伝承と、戦国時代の寡兵による籠城戦、そして明治以降に生まれた文学的な名声という、三つの異なる時代の物語が積み重なっていることにある。
【築城をめぐる伝承】寺伝ならぬ城伝では、文治元年(1185年)、緒方惟栄(おがたこれよし)が源義経(みなもとのよしつね)を迎えるため、天神山に砦を築いたのが始まりとされる。もっとも、惟栄は実際には義経を船で九州へ逃がそうとしたが、嵐によって一行は離散し、惟栄自身は捕らえられて上野国沼田(現在の群馬県)へ流されたと伝わる。その後、建武年間(1333から1338年)に大友一族の志賀貞朝(しがさだとも)が旧塁を改修・拡張し、「岡城」と名付けたとされ、こちらが実質的な城の原型にあたると考えられている。
【志賀親次の籠城戦】戦国時代、岡城は大友氏の重要拠点として整備された。天正14年(1586年)、島津氏の大軍(約3万7千人とされる)が豊後へ侵攻し岡城を攻めたが、城主・志賀親次(しがちかつぐ、当時21歳)はおよそ1,000から1,500人の城兵で何度も島津軍を撃退した。この若き城主の奮戦は、豊臣秀吉から褒状を受けるほど高く評価され、九州戦国史の中でも語り継がれる戦いとなっている。
【中川氏の居城として】文禄3年(1594年)、播磨国三木(現在の兵庫県)から中川秀成(なかがわひでなり)が約7万石で入城し、以後明治維新まで中川氏12代の居城となった。明治初めの廃城令により建造物はすべて解体され、山頂には総石垣の遺構だけが残された。
【「荒城の月」との関わり】岡城出身の作曲家・滝廉太郎(たきれんたろう)は、少年時代を竹田で過ごし、その印象をもとに「荒城の月」を作曲したとされる。ただし、作詞を手がけた土井晩翠(どいばんすい)は、会津若松城(鶴ヶ城)を念頭に歌詞を書いたとされており、この曲は作曲と作詞で異なる城のイメージが重なり合って生まれた、とする見方が有力である。
見どころ・特徴
【総石垣の威容】岡城の石垣は、九州でも屈指の規模を誇る。3段に積み上げられた高石垣は、断崖絶壁の上に築かれた山城の迫力を今に伝えている。
【広大な城域】「大手門跡」「西の丸跡」「本丸跡」「二の丸跡」など、広大な城域に石垣の遺構が連なり、歩いて巡ることでかつての規模を体感できる。
【本丸跡からの絶景】本丸跡からは、阿蘇山や久住(くじゅう)連山、祖母山(そぼさん)まで一望できる。
【滝廉太郎像】本丸近くには滝廉太郎の像が立ち、「荒城の月」の世界観を感じながら歩くことができる。
【訪ねかた】近隣の滝廉太郎記念館や武家屋敷通りとあわせて巡ると、竹田の歴史と文化をより深く味わえる。竹田は「九州の小京都」とも呼ばれる城下町で、城跡探訪と組み合わせて一日たっぷり楽しめる。
学び・特徴
指定・選定
昭和11年(1936年)に国の史跡に指定され、平成18年(2006年)には日本100名城(95番)に選ばれている。
築城
伝承では文治元年(1185年)。実質的な城の原型は、建武年間(1333から1338年)に志賀貞朝が改修・拡張した時期とされる。
基本情報
住所
大分県竹田市大字竹田
見学時間
入城時間は9時から17時まで。12月31日から1月3日は休城。入城料は高校生以上300円、小中学生150円(団体割引あり)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR豊肥本線「豊後竹田」駅から徒歩約25分、またはタクシーで約5分。期間限定で無料の登城バスが運行されることもある。駐車場は無料で、一般車両140台、バス9台分が利用できる。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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