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城 御城印続日本100名城191番・日本三大水城の一つ 中津市

中津城

なかつじょう

この城について
中津城は、大分県中津市にある、海に近い平城(ひらじろ)です。山国川(やまくにがわ)の河口に築かれ、川や海の水を堀に取り込んだ「水城(みずじょう)」として知られ、今治城(いまばりじょう)、高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられます。 天正16年(1588)、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の家臣だった黒田官兵衛(くろだ かんべえ、孝高、如水)が築城を始めました。のちに細川忠興(ほそかわ ただおき)が大きく手を入れ、扇の形に広がる姿から「扇城」とも呼ばれます。 天守は昭和39年(1964)に建てられた模擬天守で、中は奥平(おくだいら)家歴史資料館になっています。続日本100名城の191番です。

歴史・由来

中津城を理解する鍵は、「川の河口という立地と、城主が次々に代わった歴史が、石垣と城のかたちに残っている」という点にあります。 豊臣秀吉の九州平定のあと、黒田官兵衛(孝高)は豊前国(ぶぜんのくに、いまの大分県北部と福岡県東部)の6郡、約12万石を与えられました。天正16年(1588)、山国川(やまくにがわ)の河口で城づくりを始めます。川と海の水を堀に取り込む水城で、このとき積まれた石垣は、現存する近世城郭の石垣としては九州最古とされています。 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いのあとに細川忠興が入り、城を大きく改修しました。扇形に広がる城の設計は、元和7年(1621)ごろに完成したとされます。 寛永9年(1632)に細川氏が熊本へ移ると、小笠原長次が入りました。さらに享保2年(1717)、奥平昌成が入城します。以後、明治4年(1871)の廃藩置県で廃城になるまで、奥平氏が9代にわたって城を治めました。 廃城のあと、城の建物は失われました。昭和39年(1964)、観光開発のため、旧藩主家の奥平氏が中心となって、鉄筋コンクリート造の模擬天守が建てられます。かつての天守を復元したものではなく、萩城(はぎじょう)の天守をモデルにした建物です。 本丸北側の石垣には、黒田時代と細川時代の石積みが並んで見えます。城主が代わるたびに積み足されてきた歴史を、石垣から読み取ることができます。

見どころ・特徴

【黒田時代と細川時代の石垣】 本丸の北側では、黒田官兵衛が普請した石垣と、細川氏の時代に積まれた石垣が、並んで見られます。築かれた時代によって石の積み方が違うことが、目で見てわかります。 黒田時代の石垣は、現存する近世城郭の石垣として九州最古とされています。 【五重五階の模擬天守】 昭和39年(1964)に建てられた鉄筋コンクリート造の天守で、高さは約23メートルです。外観は萩城の天守をモデルにしています。 中は奥平家歴史資料館で、衣装、刀剣、陣道具、古絵図、古文書など、奥平家に伝わる品々が展示されています。徳川家康から贈られたとされる白鳥鞘(しらとりざや)の鑓(やり)も、展示品の一つです。 【続日本100名城のスタンプ】 続日本100名城の191番です。スタンプは天守の受付にあります。 【黒田官兵衛資料館】 城の近くに、黒田官兵衛の生涯や人となりを紹介する資料館があります。2014年放送のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に関する展示も見られます。 【水に囲まれた城のかたち】 中津城は山国川の河口に近く、川と海の水を堀として活かした水城です。今治城、高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられます。
学び・特徴
指定・選定
続日本100名城191番・日本三大水城の一つ
築城
天正16年(1588)に黒田孝高(官兵衛)が築城開始。細川氏の時代に整備され、明治4年(1871)に廃城
基本情報
住所
大分県中津市二ノ丁本丸
見学時間
開館は9時から17時(入館は16時30分まで)。年中無休です。入館料は大人1,000円(ドリンク付)です。開館時間や料金は変更される場合があります。お出かけ前に公式サイトでご確認ください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR日豊本線の中津駅から徒歩約15分。城の近くに無料の駐車場があります。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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