
この城について
別名「太閤一夜城」。天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原征伐の本陣として築城。「夜の内に築き上げた」という伝説で有名な、戦国末期の代表的な陣城。続日本100名城#126。


Tak1701d, Public domain, via Wikimedia Commons
歴史・由来
別名「太閤一夜城」「石垣山一夜城」。天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原征伐の本陣として築城。「一夜で築き上げた」という伝説で全国的に有名。

秀吉も見たであろう景色
実際は、約80日(4月初旬から6月末)かけて築かれた本格的な石垣造の城。だが、小田原城に籠城する北条氏に圧倒的な恐怖を与えるため、秀吉は次の演出を施した:
1. 早川村の山中で、樹木を切らずに城を築き、城の周囲は木立で隠した。
2. 完成後、一夜にして周囲の樹木を切り倒し、突然、立派な石垣造の城を出現させた。
3. これを見た小田原城の北条氏の士気は崩壊し、まもなく開城に至った。
これが「一夜城」の由来。「敵に見えないように城を築き、完成後に一斉に姿を見せる」という、秀吉の心理戦の傑作。
築城後、秀吉は石垣山城を本陣として小田原を包囲。北条氏は約3ヶ月の籠城の末、7月5日に降伏。秀吉の天下統一が完成した、戦国時代の終結の地。
開城後、石垣山城は廃城。本拠地としては機能しなかった、まさに「小田原征伐のための陣城」。
近代以降、史跡として整備。総石垣の遺構が良好に残り、戦国末期の築城技術の到達点を伝える。

Mocchy, Public domain, via Wikimedia Commons
見どころ・特徴
【井戸曲輪(いどくるわ)】
石垣山城で最も代表的な見どころ。井戸の遺構と、複雑に組まれた総石垣の構成が、戦国末期の築城技術の高さを伝える。関東大震災でも大きな損傷を免れた貴重な遺構。
【天守台・南曲輪・西曲輪などの石垣】
広い範囲に石垣の遺構が残り、発掘調査からは、犬山城や丸岡城に近い形式の天守があったと推測されている。
【山頂からの絶景】
標高約262メートルの天守台跡からは、小田原城や相模湾、伊豆半島まで一望できる。「秀吉が見たであろう景色」を、同じ場所から眺められる。
【一夜城 ヨロイヅカファーム】
パティシエ・鎧塚俊彦(よろいづかとしひこ)氏が手がけるレストラン・スイーツ店が近くにあり、城跡探訪とあわせて訪れる人が多い。御城印もここで購入できる。
【紅葉】
紅葉の名所としても親しまれている。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(昭和34年/1959年5月13日指定)。続日本100名城 第126番。
築城
天正18年(1590)4月1日に着工し、6月26日に完成。豊臣秀吉が小田原征伐の本陣として築いた陣城。
基本情報
住所
神奈川県小田原市早川
アクセス
JR東海道本線「早川」駅から、関白農道(かんぱくのうどう)経由の登山道を徒歩約40〜50分。上り坂が続くため、タクシーの利用もおすすめ。車の場合、小田原厚木道路「小田原西」インターチェンジから約10分。山頂に無料駐車場があり、トイレ・売店も整備されている。道幅が狭く、大型バスは通行できない。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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