この城について
丹波市春日町の猪ノ口山(いのくちやま、標高356メートル)に築かれた戦国時代の山城の跡です。「丹波の赤鬼」と恐れられた武将・赤井(荻野)直正(あかい〈おぎの〉なおまさ)の本拠で、明智光秀の丹波攻めでは激しく抵抗しました。山頂には野面積(のづらづみ)の石垣が残り、国の史跡、続日本100名城(163番)に選ばれています。
歴史・由来
黒井城を知る鍵は、明智光秀をいったん退けた「丹波の赤鬼」赤井直正の存在です。
【南北朝時代の築城】
黒井城は、建武(けんむ)年間(1334〜1338)に赤松貞範(あかまつさだのり)が築いたのが始まりとされます。
【丹波の赤鬼】
天文(てんぶん)23年(1554)、荻野(赤井)直正が城主となりました。直正は武勇に優れ、「丹波の赤鬼」と呼ばれて恐れられた武将です。
【光秀との攻防】
織田信長の命を受けた明智光秀が丹波に攻め込み、黒井城を取り囲みました。しかし、味方だった八上城(やかみじょう)の波多野秀治(はたのひでつぐ)が寝返ったことで、明智軍は総崩れとなって退却します。その後、天正(てんしょう)6年(1578)に直正が病で亡くなると、翌天正7年(1579)、黒井城はついに光秀の軍に攻め落とされました。
【利三と春日局】
落城後、黒井城は光秀の重臣・斎藤利三(さいとうとしみつ)に与えられました。利三の娘で、のちに徳川家光の乳母となる春日局(かすがのつぼね)は、ふもとの下館(しもやかた)で生まれたと伝えられています。その後も堀尾吉晴(ほりおよしはる)らが城主となりましたが、天正12年(1584)に廃城となりました。平成元年(1989)には国の史跡に指定されています。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡・続日本100名城163番
築城
建武年間(1334〜1338)、赤松貞範が築城
テーマ
続日本100名城国史跡山城石垣
基本情報
住所
兵庫県丹波市春日町黒井
見学時間
続日本100名城のスタンプは、丹波市観光協会などに置かれています(設置場所は変わることがあるため、事前に確認してください)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】JR福知山線「黒井」駅から登山口まで徒歩約10分から15分。
【車】舞鶴若狭自動車道「春日IC」から約10分。登山口に無料駐車場あり(約10台。中型・大型バスは利用できません)。興禅寺の駐車場も利用できます。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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