この城について
15世紀後半、蝦夷地(えぞち:今の北海道)に渡った和人の武将・武田信広(たけだのぶひろ)らが、夷王山(いおうざん)の中腹に築いた山城です。のちに松前藩を開く蠣崎(かきざき)氏・松前氏の出発点となりました。発掘調査で10万点をこえる出土品が見つかり、中世の北海道の暮らしを今に伝える遺跡として国の史跡に指定され、続日本100名城にも選ばれています。
歴史・由来
【北の中世を伝える館】
勝山館を理解する鍵は、ここが北海道の中世の姿を知るための、貴重な手がかりの宝庫だということです。
【武田信広と蠣崎氏】
武田信広は、若狭(わかさ:今の福井県)の武田氏の流れをくむとされる武将です。長禄元年(1457)、アイヌの人々と和人が争ったコシャマインの戦いで和人側をまとめ、その後、蠣崎氏を継いで道南の有力者となったと伝えられます。
【勝山館の築城】
館の北のはしにある館神八幡宮(たてがみはちまんぐう)は、文明5年(1473)の創建と伝わります。勝山館もこのころに築かれたとみられます。和人がおこなう交易の拠点であり、守りのとりでとしての役目も持っていました。
【松前へ】
永正11年(1514)、蠣崎氏は本拠を松前(まつまえ)の徳山館(とくやまだて)へ移しました。その後も勝山館は、16世紀の終わりごろまで上ノ国の拠点として使われました。蠣崎氏はのちに松前氏と名を改め、江戸時代には松前藩を治めることになります。
【発掘でよみがえった館】
昭和52年(1977)、「上之国館跡」の一つとして国の史跡に指定されました。長年の発掘調査で、陶磁器や金属製品、木製品など10万点余りの出土品が見つかり、主な出土品は国の重要文化財に指定されています。
見どころ・特徴
【勝山館跡ガイダンス施設】発掘された出土品や館の復元模型、北の中世の歴史を紹介する映像で、勝山館の成り立ちや人々の暮らしを学べます。建物の地下で見つかった火葬墓や土葬墓も、見つかった場所にそのまま再現されています。続日本100名城のスタンプもここにあります。
【館の跡】夷王山の中腹の斜面を利用した館の跡で、長さ約270メートル、幅約100メートルにわたって広がっています。
【夷王山墳墓群】館の背後から夷王山の山頂にかけて、中世の墓が数多く残っています。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(上之国館跡)・続日本100名城(102番)
築城
15世紀後半(館神八幡宮の創建が文明5年〈1473〉と伝わり、このころの築城とみられる)
テーマ
続日本100名城国史跡山城
基本情報
住所
北海道檜山郡上ノ国町字勝山427
見学時間
勝山館跡ガイダンス施設は例年4月上旬から11月上旬まで開館し、10時から16時まで。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)と祝日の翌日。入館料は大人200円、小中高生100円(旧笹浪家住宅との共通券もあり)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
車の場合、函館から約1時間45分〜2時間、木古内から約1時間15分。無料駐車場あり(約20台)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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