この城について
三春の町を見下ろす大志多山(おおしださん)の山頂に築かれた城の跡。戦国時代には田村(たむら)氏の本拠で、伊達政宗(だてまさむね)の正室・愛姫(めごひめ)はこの田村家の生まれです。江戸時代には秋田(あきた)氏が三春藩主として長く治めました。今は城山公園として整えられ、本丸跡からは三春の町並みを一望できます。別名は舞鶴城。続日本100名城(110番)。
歴史・由来
三春城を理解する鍵は、戦国の山城が、江戸時代を通じて藩の中心であり続けた「長い歩み」にあります。
【田村氏の本拠】
永正(えいしょう)元年(1504年)ごろ、田村義顕(たむらよしあき)が守山城から本拠を移したと伝えられます。孫の田村清顕(きよあき)の娘・愛姫は伊達政宗に嫁ぎ、田村家と伊達家は強く結びつきました。天正(てんしょう)14年(1586年)に清顕が亡くなると、田村領は伊達氏の影響下に入ります。しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めに加わらなかったことから、田村氏は領地を取り上げられてしまいました。
【城主の移り変わり】
その後の三春は会津の蒲生(がもう)氏の領地となり、城は文禄(ぶんろく)4年(1595年)に一度廃城となりました。慶長(けいちょう)14年(1609年)、蒲生家の重臣・蒲生郷成(さとなり)によって再び城として整えられます。江戸時代の初めには松下氏、加藤氏が城主となり、山城に手が加えられていきました。
【秋田氏の三春藩】
正保(しょうほ)2年(1645年)、秋田俊季(としすえ)が城主となります。以後、明治維新まで秋田氏が三春藩を治めました。藩主の御殿はやがて山のふもとへ移され、山上の本丸には三層の櫓(やぐら)がそびえていたと伝わります。
【城山公園へ】
明治4年(1871年)の廃藩置県で城は役目を終え、建物や石垣は取り壊されました。大正11年(1922年)に城山公園として整備され、今は町を見守る憩いの場になっています。
見どころ・特徴
【本丸跡からの眺め】
本丸跡は上下二段に分かれています。戦国時代には上段が本丸、下段が二の丸だったと伝えられます。三階櫓(さんがいやぐら)の跡からは、三春の町並みを一望できます。
【藩校明徳堂の表門】
三春藩の藩校・明徳堂(めいとくどう)の表門が、三春小学校の校門として残っています。江戸時代の建物として伝わる貴重な遺構です。
【三春町歴史民俗資料館】
ふもとにあり、田村氏や三春藩の歴史を学べます。続日本100名城のスタンプは、本丸とこの資料館の2か所に置かれています。
【訪ねかた】
春に訪ねるなら、国の天然記念物「三春滝桜」とあわせて、城下町・三春の散策を楽しむのもおすすめです。
学び・特徴
指定・選定
三春町指定史跡・続日本100名城110番
築城
永正元年(1504年)ごろ、田村義顕が本拠とする(築城時期そのものは不明)
テーマ
続日本100名城山城武将ゆかり
基本情報
住所
福島県田村郡三春町大町
見学時間
城跡(城山公園)は見学自由です。本丸の続日本100名城スタンプは終日押せます。
三春町歴史民俗資料館は9時から16時30分まで(入館は16時まで)。休館日は月曜日、祝日の翌日、年末年始です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】JR磐越東線 三春駅から徒歩約30分。または町営バスで約10分、「保健センター」下車すぐ(歴史民俗資料館の最寄り)
【車】JR郡山駅から約30分
【駐車場】あり(城跡の中腹まで車で上れます)
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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