TabiShiri
城 御城印 比企郡嵐山町

菅谷館

すがややかた

この城について
鎌倉幕府の御家人・畠山重忠(はたけやましげただ)の館跡と伝わる中世の城跡。現存する土塁・空堀などの遺構は戦国時代に築かれたものとされ、重忠が実際に暮らした当時の建物は確認されていない。国指定史跡「比企城館跡群(ひきじょうかんあとぐん)」の一つで、続日本100名城の第120番。

歴史・由来

菅谷館跡(すがややかたあと)は、鎌倉幕府の御家人・畠山重忠(はたけやましげただ)の館跡と伝わる。ただし、境内に現存する土塁(どるい)や空堀(からぼり)などの遺構は、発掘調査によって戦国時代(15〜16世紀)に築かれたものと分かっており、重忠が生きた鎌倉時代初期にさかのぼる建物の跡は今のところ見つかっていない。戦国時代にこの地を整備したのが扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)か、小田原北条氏(おだわらほうじょうし)かについては、現時点でははっきりしていない。『吾妻鏡(あづまかがみ)』に登場する「小衾郡菅屋館(おぶすまぐんすがやのたち)」がこの場所にあたると考えられており、これが畠山重忠との結びつきの根拠となっている。 畠山重忠は、源頼朝(みなもとのよりとも)に仕えた武将で、忠義と武勇に厚く、「坂東武士の鑑(ばんどうぶしのかがみ)」と称された。鎌倉幕府の成立後、武蔵国比企郡(むさしのくにひきぐん)を領した。 元久2年(1205年)、北条時政(ほうじょうときまさ)の陰謀により、重忠は謀反の疑いをかけられ、二俣川(にまたがわ、現在の横浜市)で討たれた。この謀略を仕掛けたのは時政だが、実際に軍を率いて重忠を討ったのは、当初この計画に反対していた時政の子・北条義時(ほうじょうよしとき)だった。重忠の死後、この一件が時政の失脚につながったとも言われている。 近代以降、史跡として整備され、典型的な中世武家屋敷の構造を示す土塁・空堀・郭(かく)跡が良好に残る。

見どころ・特徴

【畠山重忠像】境内中央には畠山重忠の像が立ち、その武勇と忠義を偲ぶことができる。 【埼玉県立嵐山史跡の博物館】敷地内に併設され、中世武家屋敷の構造や畠山重忠の生涯について学べる。開館時間は9時から16時30分(入館は16時まで、7・8月は17時まで)、休館日は月曜(祝日の場合は翌日)。入館料は一般100円、高校生・大学生50円、中学生以下・障害者手帳提示は無料。 【御城印】博物館の受付で購入できる(200円)。扇谷上杉氏・小田原北条氏の家紋をあしらったものと、畠山重忠の家紋をあしらったものの2種類がある。 【あわせて訪ねたい】同じ嵐山町内には杉山城跡(すぎやまじょうあと)があり、菅谷館跡と同じ国指定史跡「比企城館跡群」の一つ。少し足を延ばせば、隣の吉見町(よしみまち)にある松山城跡(まつやまじょうあと)も同じ史跡群に含まれ、あわせて巡ることができる。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡「比企城館跡群(ひきじょうかんあとぐん)」の一つ。続日本100名城 第120番。
基本情報
住所
埼玉県比企郡嵐山町菅谷757
アクセス
東武東上線「武蔵嵐山」駅から徒歩約15分。史跡内は散策自由(見学無料)。併設の埼玉県立嵐山史跡の博物館に駐車場がある(約27台)。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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