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城続日本100名城 第122番。本丸跡は千葉県指定史跡 夷隅郡大多喜町

大多喜城

おおたきじょう

この城について
徳川四天王のひとり、本多忠勝(ほんだただかつ)が初代城主となった城です。続日本100名城の第122番に選ばれています。本丸跡は千葉県の史跡で、そこに建つ天守の形をした博物館(千葉県立中央博物館大多喜城分館)は、施設改修のため休館中です。敷地内に入って、外から城の姿を眺めることはできます。

歴史・由来

この城を理解する鍵は、徳川家康が関東に移ったときに、房総をまかされた本多忠勝です。 【武田氏の城から本多氏の城へ】 大多喜の地には、16世紀の前半に武田氏が入城していました。天正18年(1590)、徳川家康が関東に移ると、家臣の本多忠勝が10万石で大多喜に入り、城と城下町を整えました。房総半島をおさえる大切な役目をまかされたのです。 【戦国の名将・本多忠勝】 本多忠勝は、生涯に50回以上の戦いに出ながら一度も傷を負わなかったと伝えられる武将です。その活躍ぶりは「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭(からのかしら)に本多平八」とうたわれたといわれます。 【譜代大名の城として】 慶長6年(1601)に忠勝が伊勢国(今の三重県)の桑名に移ったあとも、大多喜城は江戸時代を通して徳川家に近い譜代大名の居城となりました。明治に入って藩がなくなると、城の建物はすべて取り壊されました。

見どころ・特徴

【天守の形をした博物館】 昭和50年(1975)、本丸跡に3層4階の天守の形をした博物館が建てられました。千葉県立中央博物館大多喜城分館として「房総の城と城下町」を紹介してきましたが、令和3年(2021)12月から施設改修のため休館しています。建物には入れませんが、敷地内には入れ、外観を眺めたり写真に撮ったりできます。敷地内の研修館では、大多喜城と城下町を紹介する展示が行われています。 【大井戸】 本多忠勝が城を築いたときにつくられたと伝わる井戸で、周囲が約17メートルもある大きなものです。江戸時代には8本の柱と16個の滑車がついた釣瓶(つるべ)があったといいます。 【薬医門(やくいもん)】 明治時代に城の建物がすべて取り壊されたなかで、ただひとつ残った建物です。今は千葉県立大多喜高校の玄関の脇に移されています。 【続日本100名城スタンプ】 スタンプは、大多喜駅前の「観光本陣」に置かれています。
学び・特徴
指定・選定
続日本100名城 第122番。本丸跡は千葉県指定史跡
築城
16世紀前半に武田氏が入城。天正18年(1590)、本多忠勝が入城し整備
テーマ
続日本100名城武将ゆかり
基本情報
住所
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
見学時間
博物館(天守)は施設改修のため休館中。敷地内には入れます。敷地内の研修館の展示は9時から16時まで。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
いすみ鉄道「大多喜駅」から徒歩約15分。駐車場あり(乗用車約80台)。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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