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城 御城印国指定史跡・続日本100名城133番 妙高市

鮫ヶ尾城

さめがおじょう

別名:鮫ケ尾城

この城について
上杉謙信の死後に起きた跡継ぎ争い「御館の乱(おたてのらん)」で、敗れた上杉景虎(かげとら)が最期を迎えた山城です。 標高約185mの低い山に築かれ、6か所の大きな曲輪(くるわ、平らに削った区画)や6本の堀切(ほりきり)など、戦国時代の山城の姿がよく残っています。国の史跡で、続日本100名城の133番に選ばれています。

歴史・由来

【春日山城を守る城】 鮫ヶ尾城は16世紀に築かれた戦国時代の山城です。天正7年(1579年)の史料に「さめかを」「鮫尾」という名前で出てきます。上杉氏の本拠・春日山城(かすがやまじょう)の南を守る城の一つでした。 【御館の乱】 天正6年(1578年)に上杉謙信が亡くなると、謙信の養子だった上杉景勝(かげかつ)と上杉景虎のあいだで、跡継ぎをめぐる争いが起こりました。これが御館の乱です。景虎は北条氏康(うじやす)の子で、謙信の養子となっていました。 【景虎の最期】 天正7年(1579年)3月、景勝に追い詰められた景虎は、わずかな手勢でこの城に立てこもりました。城を任されていたのは堀江宗親(むねちか)です。しかし景勝方に攻められ、景虎はここで自害しました。江戸時代の歴史書には、城に火が放たれたと書かれています。城はこのとき使われなくなったと考えられています。 【国の史跡に】 城跡は約25万平方メートルの広さがあり、越後でも指折りの大きな山城です。平成20年(2008年)に国の史跡に指定されました。

見どころ・特徴

【よく残る山城の遺構】 6か所の大きな曲輪、尾根を断ち切る6本の堀切、斜面を急に削った切岸(きりぎし)が100か所以上残っています。竪堀(たてぼり)や井戸の跡も見られます。 【焼け米が出る米蔵跡】 米蔵跡と呼ばれる曲輪では、昔から焼けて炭のようになった米が見つかることで知られ、江戸時代にはもう有名になっていました。落城のときの火事を伝えるものと考えられています。 【3本の登城道】 城へは北・南・東の3本の登城道があります。ふもとの斐太(ひだ)歴史の里から歩いて登れます。 【斐太歴史の里】 城のふもと一帯は、弥生時代の集落跡で国の史跡でもある斐太遺跡と合わせて「斐太歴史の里」として整備されています。戦国の山城と弥生のムラの跡を一緒に歩けます。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡・続日本100名城133番
築城
16世紀(築いた人は分かっていない)
テーマ
続日本100名城国史跡山城戦国
基本情報
住所
新潟県妙高市宮内
見学時間
城跡は自由に見学できます。続日本100名城のスタンプと御城印は斐太歴史の里総合案内所にあります。案内所が閉まる冬期(11月下旬から3月ごろ)は、近くの神の宮温泉かわら亭で押印・購入できます。期間は年によって変わるため、事前に確認してください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン「北新井駅」から西へ約2.5km 車は上信越自動車道「新井スマートIC」から約4km 斐太歴史の里駐車場(無料)を利用
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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