この城について
織田信長(おだのぶなが)が永禄6年(1563)に築いた城です。清洲(きよす)城から本拠地を移した場所で、標高約86メートルの小牧山全体が城跡になっています。山のふもとから山頂へ続く大手道(おおてみち)や石垣の跡は、のちの安土(あづち)城の城づくりと比べられることもあり、発掘調査でも注目されています。国の史跡で、続日本100名城(149番)にも選ばれています。
歴史・由来
小牧山城を理解する鍵は、「美濃(みの、いまの岐阜県南部)を攻めるための拠点として、短い期間だけ使われた城」という点です。
【築城のきっかけ】
永禄6年(1563)、織田信長は本拠地を清洲城から小牧山に移し、城を築きました。清洲城は平地にあり、美濃の斎藤氏を攻めるには少し遠かったため、美濃をにらむ位置にある小牧山が選ばれたと考えられています。築城の担当者として、丹羽長秀(にわながひで)の名が伝わります。
【山全体を城にする】
標高約86メートルの小牧山の山全体を城とし、山頂に本丸、そのまわりに曲輪(くるわ、城内の区画)をつくりました。家臣たちの屋敷も、山のまわりに並べられたと考えられています。
【石垣を使った城づくり】
山頂の本丸まわりには三重の石垣がめぐらされ、中腹の曲輪にも石垣が使われていました。平成16年(2004)に始まった発掘調査では、高さ約3.2メートルの岩盤加工壁(山の岩を削って壁のように整えたもの)や石垣が見つかっています。信長が石垣を本格的に取り入れた城づくりに取り組んだ場所のひとつとして、研究者から注目されています。
【役目を終える】
永禄10年(1567)、信長は美濃の稲葉山城(いなばやまじょう、のちの岐阜城)を手に入れて本拠地を移し、小牧山城は築城からおよそ4年で役目を終えました。
【小牧・長久手の戦い】
天正12年(1584)、徳川家康(とくがわいえやす)は小牧山に入り、残っていた城跡を陣地として使いました。羽柴(はしば)秀吉は北の楽田(がくでん)に陣を置き、両軍は長くにらみ合いました。4月9日の長久手の戦いでは家康方が勝ちましたが、11月に織田信雄(おだのぶかつ)が秀吉と単独で和睦し、12月には家康も秀吉と和睦しました。家康が秀吉に従ったのは、翌年の天正13年(1585)10月のことです。
見どころ・特徴
【大手道(おおてみち)】
ふもとから山頂へ向かう登城道です。途中まで一直線に登り、そのあと折れ曲がって本丸へ向かう作りは、のちの安土城の大手道と似ていると指摘されています。
【石垣と発掘の成果】
山頂の本丸まわりには三重の石垣がめぐらされ、中腹の曲輪にも石垣が築かれました。発掘調査では、高さ約3.2メートルの岩盤加工壁も見つかっています。
【小牧山歴史館】
山頂にある天守風の建物です。昭和42年(1967)に実業家の平松茂(ひらまつしげる)氏が建てて寄贈し、令和5年(2023)4月1日にリニューアルオープンしました。常設展示室もあります。
【れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)】
模型や映像を使って、信長が築いた石垣や城下町、小牧・長久手の戦いなど、小牧山の歴史を紹介する施設です。
【御城印(ごじょういん)】
織田版と徳川版の2種類があり、1枚300円(税込)です。小牧山歴史館と、れきしるこまきで授与されています。
【訪ねかた】
山頂の歴史館までは、ふもとから歩いて約15分かかります。階段が続くので、歩きやすい靴でお出かけください。
学び・特徴
指定・選定
続日本100名城(149番、平成29年・2017年選定)・国の史跡(昭和2年・1927年指定)
築城
永禄6年(1563)、織田信長が築城
基本情報
住所
愛知県小牧市堀の内1-1
見学時間
【小牧山歴史館】
9時から16時30分まで(常設展示室の入館は16時15分まで)。大人200円、団体(30人以上)100円、高校生以下は無料。
【れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)】
9時から17時まで(常設展示室への入場は16時30分まで)。大人200円、団体(30人以上)100円、18歳以下は無料。
【休館日(両施設とも)】
第3木曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日から1月3日。
開館時間・料金・休館日は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式の案内でご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
名鉄小牧線「小牧」駅から徒歩で20分から25分ほどです(案内によって差があります)。
山頂の小牧山歴史館へは、ふもとから歩いて約15分です。山頂へ車で上がることはできません。
車でお越しの場合の駐車場は、小牧市の観光案内でご確認ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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