TabiShiri
城 御城印 四條畷市

飯盛城

いいもりじょう

この城について
三好長慶が永禄3年(1560)、本拠を芥川山城から移した「畿内の戦国首都」。長慶の死後、畠山秋高が家臣に討たれた事件をきっかけに織田信長方に攻められ、天正3〜4年(1575〜1576)ごろに落城した。続日本100名城#160。

歴史・由来

三好長慶が永禄3年(1560)、本拠を芥川山城から移した「畿内の戦国首都」。 飯盛山(標高約314メートル)の山頂に築かれた、関西最大級の戦国山城。長慶はこの城から京・大坂・堺の三都を支配し、事実上の「天下人」として君臨した。 永禄7年(1564)、長慶が飯盛城で死去。後継争いで三好政権は崩壊した。その後、城は畿内を治めていた畠山秋高(はたけやまあきたか)のものとなったが、天正3〜4年(1575〜1576)ごろ、秋高が家臣・遊佐信教(ゆさのぶのり)に討たれる事件が起こる。これに激怒した織田信長方の攻撃を受け、飯盛城は落城し、廃城となった。

見どころ・特徴

【総石垣の遺構】 南北約700メートル・東西約400メートルという西日本有数の規模を誇る山城で、多くの曲輪・堀切・土橋が良好な状態で残る。石垣を多用した築城技術は、織田信長の安土城に先駆けるものとして注目されている。 【山頂からの絶景】 頂上部からは大阪平野・京都・奈良まで一望できる。「天下人・三好長慶が見た畿内」を体感できる。 【キリスト教布教の地】 永禄6年(1563)、長慶はこの城でキリスト教の布教を許可し、主要な家臣73人が洗礼を受けたと伝わる。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡(令和3年/2021年10月11日指定)。続日本100名城 第160番。四條畷市・大東市にまたがる山城。
基本情報
住所
大阪府四條畷市南野
アクセス
JR学研都市線「四条畷」駅または「野崎」駅から、四條畷神社または野崎観音経由のハイキングコースで本丸まで徒歩約90〜100分。車の場合は阪奈道路から楠公寺(妙法寺)方面へ未舗装の林道を進む必要があり、大型車での通行は難しい。楠公寺付近に約10台分の駐車スペースがあり、そこから本丸まで徒歩約10分。大東市立野外活動センター「キャンピィだいとう」(1日200円)にも駐車場がある。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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