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城 大和郡山市

大和郡山城

やまとこおりやまじょう

別名:郡山城(こおりやまじょう)

この城について
奈良県大和郡山市にある城の跡で、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)が、大和(やまと、今の奈良県)を中心とする百万石の領主として本拠にした城です。江戸時代には柳澤(やなぎさわ)家の城として明治まで続きました。石垣には寺院の礎石や石地蔵などの「転用石」が使われ、桜の名所としても知られています。続日本100名城(165番)に選ばれています。

歴史・由来

この城を理解する鍵は、「豊臣秀長が百万石の大名にふさわしい城として造り上げた城」という点にあります。 【筒井順慶の城】天正(てんしょう)8年(1580年)、筒井順慶(つついじゅんけい)が織田信長から郡山城を与えられ、城づくりを始めました。 【豊臣秀長の城】天正13年(1585年)、豊臣秀吉の弟・秀長がこの城に入り、大和百万石にふさわしい城づくりが始まりました。石材が足りなかったため、寺院の礎石や五輪塔、石地蔵まで集めて石垣に使ったといわれます。秀長の死後は養子の秀保(ひでやす)が城づくりを続けましたが、文禄(ぶんろく)4年(1595年)に若くして亡くなりました。その後、豊臣家の五奉行の一人・増田長盛(ましたながもり)が入り、外堀の工事を進めました。 【江戸時代】関ヶ原の戦いの後、城はいったん廃城となりました。元和(げんな)元年(1615年)に水野勝成(みずのかつなり)が入って荒れた城を修築し、その後も城主が替わったのち、享保(きょうほう)9年(1724年)に柳澤吉里(やなぎさわよしさと)が城主となりました。柳澤家は明治維新まで郡山を治めました。 【その後】昭和36年(1961年)に奈良県の史跡に指定され、昭和50年代から60年代にかけて追手門などが復元されました。

見どころ・特徴

【転用石の石垣と天守台】天守台などの石垣には、寺院の礎石や五輪塔、石地蔵などが使われていて、さかさまに積まれた地蔵も見ることができます。天守台の石垣は平成25年から29年(2013年から2017年)にかけて修復されました。 【追手門と櫓】昭和58年(1983年)に追手門、昭和59年(1984年)に追手東隅櫓(おうてひがしすみやぐら)と多聞櫓(たもんやぐら)、昭和62年(1987年)に追手向櫓(おうてむかいやぐら)が復元されました。 【桜】約800本の桜とともに「日本さくら名所100選」に選ばれています。
学び・特徴
指定・選定
奈良県指定史跡(昭和36年)/続日本100名城(165番)/日本さくら名所100選
築城
天正8年(1580年)、筒井順慶が築城を始める。天正13年(1585年)、豊臣秀長が入城し大規模に整備した。
テーマ
続日本100名城桜
基本情報
住所
奈良県大和郡山市城内町2-255
アクセス
近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩約15分。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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