この城について
鳥取県若桜町(わかさちょう)の、標高約452mの山の上に築かれた山城の跡です。因幡(いなば、今の鳥取県東部)と播磨・但馬を結ぶ道が集まる場所にあり、戦国時代には尼子氏・毛利氏・織田氏がこの城をめぐって争いました。山の上には本丸・二の丸・三の丸と石垣、天守台が残り、廃城のときに石垣を壊した跡も見ることができます。国の史跡で、続日本100名城に選ばれています。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、「いくつもの国を結ぶ道の交わる場所にあったため、多くの武将が奪い合った城」という点にあります。
【築城】伝えによると、鎌倉時代のはじめの正治(しょうじ)2年(1200年)、矢部暉種(やべてるたね)が築いたとされます。
【戦国時代の争い】戦国時代には、尼子氏・毛利氏・織田氏がこの城をめぐって戦いました。尼子家を立て直そうとした山中鹿介(やまなかしかのすけ)が城主だったこともあります。
【石垣の城へ】豊臣秀吉が因幡を平らげた後は、木下氏、つづいて山崎氏が城主となり、山の上に石垣を備えた城へと造り変えられました。
【廃城】元和(げんな)3年(1617年)に廃城となりました。このとき、城が二度と使えないように石垣の一部が壊されました。
見どころ・特徴
【破城跡】廃城のときに石垣をわざと崩した跡が残っています。城がどのように「使えなく」されたのかを目で確かめられる、めずらしい遺構です。
【天守台】本丸にある天守台からは、城の下を通る2本の街道を見わたせます。
【本丸・二の丸・三の丸】尾根に沿って曲輪(くるわ)が続けて並ぶ造りです。
【六角石垣】角を鈍い角度にして積んだ石垣で、物見のための場所だった可能性があるといわれます。
【登城道】登城口は第1町民体育館裏と八幡広場の2か所です。行きは尾根の道(登り専用)、帰りは六角石垣を通る道がすすめられています。
学び・特徴
指定・選定
国指定史跡/続日本100名城
築城
正治2年(1200年)、矢部暉種が築いたと伝わる。元和3年(1617年)廃城。
テーマ
続日本100名城山城
基本情報
住所
鳥取県八頭郡若桜町若桜
見学時間
城跡は自由に見学できます。登城口から山頂まで約45分から50分の山道です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
若桜鉄道「若桜駅」から登城口まで徒歩約10分。登城口から山頂まで徒歩約45分から50分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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