この城について
江戸時代の浜田藩の藩庁があった城の跡で、いまは城山公園として整備されています。元和5年(1619)に伊勢の松坂から浜田へ移った古田重治(ふるたしげはる)が、翌年から築きました。北側には日本海(松原湾)を望みます。島根県指定史跡で、続日本100名城の170番に選ばれています。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、城主の家が何度も入れ替わりながら、江戸時代の終わりまで浜田藩の中心であり続けたことです。
【築城】
元和5年(1619)、伊勢国松坂から古田重治が浜田へ移り、初代の浜田藩主になりました。翌年の2月から築城に取りかかり、元和9年(1623)には城と城下町が整ったと伝わります。本丸には天守にあたる三重櫓(さんじゅうやぐら)があり、城内にほかの櫓はなかったとされています。
【城主の移り変わり】
古田家は2代で後継ぎがなく、慶安元年(1648)に改易(かいえき)となりました。翌年の慶安2年(1649)に松平(松井)周防守家(すおうのかみけ)が入り、宝暦9年(1759)には本多家に代わります。明和6年(1769)に松平周防守家が再び入り、天保7年(1836)に松平(越智〈おち〉)右近将監家(うこんのしょうげんけ)が6万1千石で入って、幕末まで続きました。
【最期】
慶応2年(1866)7月、第二次長州征討の石州口(せきしゅうぐち)の戦いで、浜田藩は長州藩に敗れました。浜田市の案内では、自焼退城(自ら火を放って城を去ること)を決め、城はその役目を終えたとされています。長州軍を率いたのは大村益次郎(おおむらますじろう)です。戦いの経緯は資料によって書き方が異なります。
見どころ・特徴
【残る石垣】
本丸・二ノ丸・三ノ丸・出丸の石垣のほか、本丸御門跡、二ノ門(渡門〈わたりもん〉)、六間長屋の石垣が知られています。二ノ門では、石垣と枡形虎口(ますがたこぐち)が残っています。中ノ門の石垣は、護国神社の参道わきの谷間に見られます。
【花見の広場】
慶応2年に爆破された焔硝蔵(えんしょうぐら)の跡は、いまは「花見の広場」になっています。春には、桜の季節の城山公園を楽しめます。
【日本海を望む眺め】
城の北側は日本海(松原湾)に面しています。城跡の高い場所から、浜田の海と町を見渡せます。
【津和野の門と追懐の碑】
園内には、津和野藩の門を昭和42年(1967)に移した門があります。浜田城の門ではありませんが、城跡の歩きどころのひとつです。平成元年(1989)建立の「浜田藩追懐の碑」もあります。
【訪ねかた】
城跡は丘の上にあります。歩きやすい靴で、ゆっくり石垣を見ながら登るのがおすすめです。
学び・特徴
指定・選定
島根県指定史跡(昭和37年〈1962〉6月12日指定)。続日本100名城の170番(2017年4月6日選定)。
築城
元和5年(1619)に古田重治が浜田藩主となり、翌年2月に築城を始め、元和9年(1623)に城と城下が整ったと伝わります。
基本情報
住所
島根県浜田市殿町
アクセス
JR山陰本線「浜田駅」から徒歩で15分から20分ほど。車の場合は、浜田自動車道の浜田ICから約4.8km。駐車場は約30台・無料とされています。最新の情報は、お出かけ前に浜田市の観光案内でご確認ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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