
Carpkazu at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
この城について
毛利元就(もうりもとなり)の三男・小早川隆景(こばやかわたかかげ)が、永禄10年(1567年)に築いた海城です。沼田川(ぬたがわ)河口の島々をつないで造られ、満潮のときに海に浮かんで見えたことから「浮城(うきしろ)」とも呼ばれました。天守は建てられず、天主台(てんしゅだい)だけが残っています。明治27年(1894年)の山陽鉄道の開通で城地の多くが駅用地などになり、いまはJR三原駅の構内から天主台に上がれます。国史跡「小早川氏城跡」の一部で、続日本100名城の172番です。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、いまも城跡が交通の要衝(ようしょう)の上にあることです。かつては瀬戸内海の航路を押さえる水軍の拠点でした。
いまは新幹線と在来線の三原駅が、城の中心部と重なっています。役割は変わっても、場所の意味は変わっていません。
【隆景の海城】
小早川隆景は天文21年(1552年)に、対岸の新高山城(にいたかやまじょう)へ本拠を移し、沼田川流域を押さえました。そののち、河口の島々をつないで築いたのが三原城で、築城は永禄10年(1567年)と小早川家系図が伝えています。
天正8年(1580年)と天正10年(1582年)には修築が行われ、天正11年(1583年)には城下町の整備も進みました。範囲は東西約900m、南北約700mで、二層・三層の隅櫓(すみやぐら)が32、城門が14あったと伝わります。小早川水軍の拠点として、瀬戸内海の交通を押さえる役目を担いました。
隆景は天正15年(1587年)に筑前(ちくぜん)の名島城(なじまじょう)へ移りますが、文禄4年(1595年)に領地を譲って三原へ隠退(いんたい)しました。城を隠居城として大がかりに修築し、新高山城から石も運んだとされます。慶長2年(1597年)6月12日、この城で亡くなりました。
【福島正則と浅野氏】
関ヶ原の戦いのあと安芸(あき)・備後(びんご)に入った福島正則(ふくしままさのり)は、広島城を本拠とし、三原城には跡継ぎの正之(まさゆき)を置きました。いまに残る天主台の姿は、福島氏の時代に整ったとする見方もあります。
元和5年(1619年)に福島氏が改易(かいえき)されると、新宮城主だった浅野忠吉(あさのただよし)が三原城に入りました。三原浅野家は、広島藩の浅野家の親戚で、代々筆頭家老(ひっとうかろう)を務め、3万石を治めた家です。
【天守のない天主台】
この城には天守が建てられず、天主台だけがありました。台の上には、三基の二重櫓(にじゅうやぐら)をつないだ、代用天守のような建物があったと考えられています。石垣は場所によって積み方が違い、隆景の時代のものとされる部分も残ります。
【鉄道が来た】
明治27年(1894年)、山陽鉄道が本丸を貫いて開通し、三原駅が開業しました。城地の多くが駅用地になり、石垣や門は港の建設資材などに転用されたとされます。
昭和50年(1975年)3月には山陽新幹線が三原駅に停車するようになり、いまは在来線と新幹線の線路が本丸のあたりを通っています。新幹線の高架の下では、天主台の石垣がいったん解体され、積み直されたと市の資料にあります。
【国の史跡】
昭和32年(1957年)12月11日、高山城跡(たかやまじょうあと)・新高山城跡とあわせて、国の史跡「小早川氏城跡」に指定されました。
見どころ・特徴
【天主台跡】天守は建ちませんでしたが、石垣の天主台が残っています。JR三原駅の構内から階段で上がれ、新幹線の高架とほぼ同じ高さから、列車の発着を間近に見られます。
【石垣】場所によって石の形や積み方が違い、時代の差を見比べられます。「アブリ積み」という工法が使われていると紹介されています。
【濠(ほり)】天主台をめぐる濠が残り、周辺は公園として整えられて、地元の人の憩いの場にもなっています。
【船入櫓跡(ふないりやぐらあと)】海に面した城だったことを伝える遺構です。市の資料では、市民福祉会館の東側のあたりに残るとされています。
【本丸中門跡(ほんまるなかもんあと)】ペアシティ三原西棟の西隣に、石垣と濠が残っています。
【浮城(うきしろ)】満潮のときに城が海に浮かんで見えたことから、この名で呼ばれました。いまはその面影はほとんどありませんが、遺構の位置を地図で追うと、かつての海辺の広がりを想像できます。
【御城印と続日本100名城スタンプ】JR三原駅構内のうきしろロビー観光案内所で、三原城の御城印を頒布しています。続日本100名城のスタンプは、三原観光協会と三原市歴史民俗資料館に設置されています。
【訪ねかた】城域の大半は市街地や駅、線路になっているため、天主台、濠、船入櫓跡、中門跡を、街歩きでめぐる形になります。JR三原駅を起点に、歩いて回れます。
学び・特徴
指定・選定
国史跡「小早川氏城跡」(昭和32年〈1957年〉12月11日指定)/続日本100名城172番
築城
永禄10年(1567年)/小早川隆景による築城。のち、天正年間の修築、隆景の隠居後の大規模な修築、福島氏の時代の整備を経て、現在に残る形が整ったと考えられている
テーマ
続日本100名城
基本情報
住所
広島県三原市城町
見学時間
天主台跡 6時30分〜22時、見学無料。
天主台跡へ上がる入口はJR三原駅の構内にあります。公開時間外は立ち入れません。船入櫓跡・本丸中門跡は街なかの屋外にあります。
【御城印・続日本100名城スタンプ】
・うきしろロビー観光案内所(JR三原駅構内)9時〜18時。御城印を頒布しています。
・続日本100名城のスタンプは、三原観光協会と三原市歴史民俗資料館(三原市館町2-5-2)に設置されています。営業時間・休館日は三原市のサイトでご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】JR山陽新幹線・山陽本線・呉線の三原駅下車すぐ。天主台跡へは駅構内の階段から上がれます。船入櫓跡・本丸中門跡へは、駅から街なかを歩いてまわります。
【車】山陽自動車道の三原久井ICから約10km。城跡専用の駐車場はないため、周辺の有料駐車場をご利用ください。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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