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城 御城印 三原市

新高山城

にいたかやまじょう

広島県・三原市の城「新高山城」

そらみみ, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

この城について
広島県三原市本郷町、沼田川(ぬたがわ)のほとりにそびえる標高197.6mの山に築かれた、小早川(こばやかわ)氏の山城の跡です。天文(てんぶん)21年(1552年)、毛利元就(もうりもとなり)の三男で小早川家を継いだ小早川隆景(たかかげ)が、川の対岸の高山城(たかやまじょう)から本拠を移し、大きく造り直しました。慶長(けいちょう)元年(1596年)に隆景が海辺の三原城へ移るまで、およそ45年間にわたって小早川氏の中心でした。高山城跡・三原城跡とあわせて国の史跡「小早川氏城跡」に指定され、続日本100名城(173番)にも選ばれています。

歴史・由来

この城を理解する鍵は、「山の城から海の城へ移っていく小早川氏の、ちょうど途中の姿」という点にあります。 【小早川氏と高山城】小早川氏は、相模(さがみ、今の神奈川県)の土肥(どい)氏の流れをくむ武士です。鎌倉時代に沼田荘(ぬたのしょう、今の三原市本郷町あたり)を治めるようになり、沼田川の対岸にある高山城を本拠にしました。 【副城として始まる】新高山城は、建治(けんじ)2年(1276年)に小早川雅平(まさひら)が築いた砦が始まりとされ、高山城を支える副城でした。 【隆景が本拠に】戦国時代、毛利元就の三男・隆景が小早川家を継ぎます。天文21年(1552年)、隆景はこの砦を本拠にするため大がかりな工事を行い、高山城から移りました。小早川氏は毛利氏を支える柱の一つとして、瀬戸内海の水軍を率いる役割を担っていきます。 【海の城・三原城へ】瀬戸内海を押さえるには、港に近い城のほうが便利です。隆景は沼田川の河口に三原城を整え、慶長元年(1596年)に本拠をそちらへ移しました。このとき新高山城の石垣は崩され、三原城を築く材料として運ばれたといわれます。 【三つの城跡】高山城、新高山城、三原城の跡は、昭和32年(1957年)12月11日に、まとめて国の史跡「小早川氏城跡」に指定されました。三つを順に見ると、山の上に構えた城から海辺の城へと本拠が移っていった流れがよく分かります。

見どころ・特徴

【城の構え】本丸・中の丸・釣井の段(つるいのだん)など7つの郭(くるわ)からなる内側の部分を、鐘の段やシンゾウス郭などの外側の郭が守る造りになっています。城の広さは東西約400mにおよびます。 【釣井の段の井戸】井戸が6基残る曲輪です。山の上で籠城するための水をここで確保していました。これだけの井戸がまとまって残る山城の跡は貴重です。 【石垣】本丸と釣井の段には石垣が残っています。多くの石は三原城へ運ばれたといわれますが、戦国時代の山城の石垣を間近で見ることができます。 【詰の段からの眺め】東側の頂上にある「詰の段」には音声の説明機が置かれています。眼下に沼田川と本郷の町が広がります。 【匡真寺跡】城の中には匡真寺(きょうしんじ)という寺の跡も残っていて、山の上の城が暮らしや信仰の場でもあったことを伝えています。 【戦国の山城がそのまま残る】廃城の後、この山に新しい城が築かれることはありませんでした。そのおかげで、隆景のころの曲輪の配置が今も山に残り、歩きながら戦国の山城の造りを確かめられます。
学び・特徴
指定・選定
国史跡「小早川氏城跡(高山城跡・新高山城跡・三原城跡)」昭和32年(1957年)12月11日指定/続日本100名城(173番)
築城
建治2年(1276年)に小早川雅平が高山城の副城として築いたとされる。天文21年(1552年)、小早川隆景が大改修して本拠とした。慶長元年(1596年)、三原城へ移り廃城。
テーマ
続日本100名城国史跡山城毛利氏
基本情報
住所
広島県三原市本郷町下北方
見学時間
城跡は自由に見学できます。登山口から本丸まで徒歩約30分の山道なので、歩きやすい靴で出かけましょう。続日本100名城のスタンプは、本郷駅の近くにある本郷生涯学習センターと本郷町観光協会に置かれています。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR山陽本線「本郷駅」から登山口まで徒歩約25分、タクシーで約3分(車で約1.6km)。登山口から本丸まで徒歩約30分。登山口に駐車場あり(普通車10台、マイクロバス2台)。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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