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神社 対馬市

厳原八幡宮神社

いづはらはちまんぐうじんじゃ

別名:府中八幡宮(ふちゅうはちまんぐう)、八幡宮神社

この神社について
厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)は、長崎県対馬市の厳原(いづはら)にある神社です。神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐(さんかんせいばつ)の帰りに清水山(しみずやま)で祭りを行い、異国からの守りを祈ったと伝わります。対馬藩主の宗(そう)氏をはじめ、島の人びとの信仰を集めてきました。旧社格は県社で、対馬国一宮(いちのみや)の論社(ろんしゃ、一宮とする説のある神社)ともされています。

歴史・由来

厳原八幡宮神社を理解する鍵は、「大陸に近い対馬を異国から守る祈りの場」という点です。 【神功皇后の伝え】 神功皇后が三韓征伐の帰りに対馬の清水山に立ち寄り、山頂に磐境(いわさか、神を祀る聖なる場所)を設けて天神地祇(てんじんちぎ、天と地の神々)を祀り、異国の侵入からこの地を守るよう祈ったと伝えられています。 【社殿の造営】 その後、天武天皇(てんむてんのう)の命により、清水山のふもとに社殿が造られ、5柱の神を祀る八幡宮になったと伝わります。天武天皇6年(677)とする資料があります。嘉暦3年(1328)には、社殿を再興した棟札(むなふだ、建築の記録を書いた札)が残っています。 【府中八幡宮から県社へ】 対馬藩の中心地・府中(いまの厳原)にあることから、戦国時代のころから「府中八幡宮」とよばれるようになりました。対馬藩主の宗氏をはじめ、島の人びとに篤く信仰されました。明治7年(1874)に郷社(ごうしゃ)となり、大正5年(1916)に県社に昇格しました。 【式内社とのかかわり】 平安時代の記録『延喜式(えんぎしき)』に載る名神大社(みょうじんたいしゃ)「和多都美神社(わたづみじんじゃ)」にあたる神社とされたこともあり、明治4年(1871)には和多都美神社と名のりましたが、明治23年(1890)に元の八幡宮に戻しました。いまは、式内社や一宮であると自らは名のっていません。

見どころ・特徴

【清水山のふもとの社殿】 清水山のふもとに鎮座し、参道には鳥居と石段が続きます。神門をくぐると、拝殿と本殿が建っています。 【境内社(けいだいしゃ)】 本殿のそばに平神社(たいらじんじゃ)、参道の正面に宇努刀神社(うぬとじんじゃ)があり、ほかにも天神神社や今宮・若宮の社が祀られています。 【命婦の舞(みょうぶのまい)】 大祭では、巫女(みこ)による「命婦の舞」が奉納されます。 【訪ねかた】 参道には石段があります。歩きやすい靴でお出かけください。
年中行事・お祭り
【大祭(旧暦8月13日から15日)】旧暦8月13日と14日に前夜祭があり、15日に本祭が行われます。本祭では、神幸式(しんこうしき、神霊が神輿に乗って巡る儀式)と放生会(ほうじょうえ、生き物を放って命を大切にする行事)が行われ、巫女による「命婦の舞」が奉納されます。旧暦の8月15日は、新暦では例年9月から10月ごろにあたります。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
応神天皇神功皇后仲哀天皇姫大神武内宿禰
社格
旧県社(大正5年・1916)。対馬国一宮の論社。延喜式(えんぎしき)の名神大社「和多都美神社」の論社
創建
社伝では、神功皇后の伝えに始まり、天武天皇の命で社殿が造営されたとされる(天武天皇6年・677とする資料もある)
基本情報
住所
長崎県対馬市厳原町中村645-1
アクセス
厳原港(新国内ターミナルビル)から徒歩で約15分です。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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