この寺について
奈良市の東部、柳生街道沿いの山中にある寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)。本堂の本尊は阿弥陀如来坐像(重要文化財)だが、境内の相応殿には、仏師運慶の現存最古の作とされる国宝・大日如来坐像がまつられている。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、「本尊」と「もっとも有名な仏像」が、実は別々のものだという点にある。
創建については、はっきりとした資料がなく、いくつかの伝承が伝わる。『円成寺縁起』は、唐から来た僧・虚滝(ころう)が天平勝宝8年(756年)に聖武天皇の勅願で開いたと伝える一方、別の伝えでは、京都の僧・益信(やくしん)が延喜年間(901年から923年)にこの地を訪れて寺を建てたとも言われる。どちらも、はっきりとした裏付けのある史実とまでは言えない。
史実としてより確かなのは、仁平3年(1153年)に僧・寛遍(かんべん)がこの寺に入り、密教(東密)の一派「忍辱山流」を興したことである。これにより、円成寺は密教の修行の場として整えられていったと考えられている。
寺の名前の由来となった山号「忍辱山」の「忍辱(にんにく)」とは、仏教の実践徳目のひとつで、つらいことや辱め(はずかしめ)を怒らず耐え忍ぶことを意味する言葉である。
室町時代の文明4年(1472年)に本堂が、応仁2年(1468年)には楼門が、それぞれ再建された(どちらも重要文化財)。本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財、平安時代)と四天王立像がまつられている。
もっとも有名な仏像は、境内の相応殿(そうおうでん)にまつられる国宝・大日如来坐像である。この像は、鎌倉時代を代表する仏師・運慶が、安元元年(1175年)に依頼を受け、翌安元2年(1176年)に完成させたと、像の台座に残る銘からわかっている。運慶が20代の頃の作とされ、仏師自身が作者として名を残した、現存するもっとも古い運慶作品として知られる。もとは多宝塔にまつられていたが、現在の多宝塔(平成2年〈1990年〉再建)には模刻像が置かれ、本物の国宝像は相応殿で拝観できる。
見どころ・特徴
【国宝・大日如来坐像】
境内の相応殿(そうおうでん)にまつられる、運慶作の国宝・大日如来坐像。像高はおよそ99センチメートルで、水晶をはめ込んだ「玉眼(ぎょくがん)」という技法が使われている。春と秋に特別公開が行われることが多いが、年によって異なるため、訪ねる前に公式サイトなどで確認するとよい。
【多宝塔】
もとの多宝塔(大日如来坐像を納めていた建物)は、大正9年(1920年)に神奈川県鎌倉市の長寿寺に移築された。現在の多宝塔は平成2年(1990年)に再建されたもので、中には大日如来坐像の模刻像がまつられている。
【本堂・楼門】
本堂(重要文化財)は室町時代の文明4年(1472年)の建立で、寝殿造のおもむきを残す。楼門(重要文化財)は応仁2年(1468年)の再建。ともに古い寺の姿をしのばせる建物である。
【浄土式庭園】
国指定名勝の庭園は、平安時代後期、寛遍の頃に築かれたと伝わる池を中心とした浄土式庭園。紅葉や桜の名所としても知られる。
学び・特徴
本尊
阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう、重要文化財)
宗派・寺格
大和十三佛霊場第12番札所(大日如来)
創建
創建の年代や経緯には、はっきりとした資料がない。『円成寺縁起』などには、唐僧・虚滝(ころう)による天平勝宝8年(756年)開山説や、僧・益信(やくしん)による延喜年間(901年から923年)開山説が伝わるが、いずれも伝承にとどまる。史実としてより確かなのは、仁平3年(1153年)に僧・寛遍(かんべん)が入寺し、密教の一派「忍辱山流」を興したことである。
テーマ
大和十三佛霊場
基本情報
住所
奈良県奈良市忍辱山町1273
参拝時間
拝観時間は9時から17時まで。拝観料は、大人500円、中学生・高校生400円、小学生100円(30名以上の団体は割引あり)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR奈良駅または近鉄奈良駅から、奈良交通バスの柳生方面行きに乗り、「忍辱山」バス停で下車、徒歩1分から2分ほど。バスの本数は少ないため、訪ねる前に時刻を確認しておくとよい。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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