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神社 中央区

末廣神社

すえひろじんじゃ

東京都・中央区の神社「末廣神社」

Higa4, CC0, via Wikimedia Commons

この神社について
日本橋人形町にある稲荷(いなり)社で、江戸の初めには、近くにあった遊郭「元吉原」の鎮守として信仰されました。 吉原が浅草へ移ったあとは、跡地にできた四つの町の氏神となり、今も町の人々に親しまれています。延宝年間に社殿を修復したとき、中啓(ちゅうけい)という扇が見つかったことが、社名「末廣」の由来とされます。 日本橋七福神の一社で、毘沙門天(びしゃもんてん)をまつります。

歴史・由来

この社を理解する鍵は、遊郭の鎮守として信仰された稲荷社が、遊郭が去ったあとも町の氏神として残り、一本の扇をきっかけに「末廣」の名を得たことにある。 【稲荷社のはじまり】 創建の年代ははっきりしていない。慶長元年(1596)の記録があり、それ以前から、稲荷の祠(ほこら)としてこの地にまつられていたと伝わる。 社に伝わる「末廣稲荷由緒書」には、元和元年(1615)、徳川家康の命で駿河(するが)の国から江戸に移った法印(ほういん)と呼ばれる僧が、この古い稲荷社に仕えたと記されている。 【元吉原の鎮守】 元和3年(1617)、幕府の許可を得て、この近くに遊郭「吉原」が開かれた。のちに浅草へ移った吉原と区別するため、ここは「元吉原」と呼ばれる。 末廣神社は、元吉原の鎮守として信仰された。由緒書では、遊郭の中の江戸町・京町・角町などの産土神(うぶすながみ、生まれた土地の守り神)とされている。 【大火のあと、町の氏神として】 明暦3年(1657)の大火のあと、吉原は浅草へ移った。跡地には、難波町・住吉町・高砂町・新和泉町の四つの町ができ、末廣神社は、その氏子から厚く信仰されてきた。 【「末廣」の名の由来】 延宝年間(1673〜1681)、社殿を修復したとき、中啓という扇が見つかった。中啓は、閉じていても先が外側へ反って広がる形をしている。その「末広がり」の形にちなんで、「末廣」と称するようになったとされる。以後、勝運や災難除けの神として信仰されている。 【今の姿】 日本橋七福神の一社として毘沙門天をまつり、正月には、多くの参拝者が訪れる。

見どころ・特徴

【日本橋七福神の毘沙門天】 毘沙門天は七福神の一柱で、勝運や財運の神として知られる。日本橋七福神は、日本橋の7つの神社をめぐる行事で、末廣神社はその一社にあたる。 【末広扇の由来】 延宝年間(1673〜1681)の社殿の修復のとき、中啓(ちゅうけい)という扇が見つかった。中啓は、閉じていても先が広がる形の扇で、これが社名の由来とされる。 【は組の碑】 享保5年(1720)に作られた町火消「いろは四十八組」のうち、は組を記念する碑が残る。は組は、伝馬町・人形町のあたりを受け持った組である。 【元吉原の記憶】 この一帯が、江戸の初めの遊郭「元吉原」の地だったことは、社の由緒に記されている。今は静かな町の中の神社だが、江戸の歴史を伝える場所のひとつである。 【訪ねかた】 ビルの間にある、こぢんまりした境内で、下町らしい落ち着きがある。授与所は、対応できない場合がある。近くの水天宮や甘酒横丁とあわせて歩くのもおすすめ。
年中行事・お祭り
【日本橋七福神めぐり】例年1月1日から7日ごろ 日本橋の7つの神社をめぐる、新春の行事。末廣神社は、毘沙門天の社にあたる。全7社を歩いてめぐると、御朱印をいただく時間も含めて、2〜3時間ほどが目安とされる。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず現地または公式の案内でご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
稲荷神毘沙門天
社格
日本橋七福神の毘沙門天。所蔵文書19点が、中央区の区民有形文化財(古文書)に登録されている(平成4年〈1992〉)。
創建
創建の年代は不詳。慶長元年(1596)の記録があり、それ以前から稲荷の祠として鎮座していたと伝わる。
この場所を巡る軸
基本情報
住所
東京都中央区日本橋人形町2-25-20
参拝時間
境内は、午前9時から午後5時ごろまで参拝できます。参拝は無料です。 授与所は、対応できない場合があります。 時間は変わる場合があります。お出かけ前に現地でご確認ください。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
東京メトロ日比谷線・都営浅草線の人形町駅から、徒歩2〜5分ほどです。 境内に駐車場はありません。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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