TabiShiri
寺 御朱印 平塚市

要法寺

ようほうじ

この寺について
弘安5年(1282年)、日蓮が身延山久遠寺から池上へ向かう途中に宿泊した屋敷地を起源とする日蓮宗系単立の寺院。「湘南ひらつか七福神」の毘沙門尊天を祀る一寺で、地名「平塚」の由来となった「平塚の塚」が境内にある。夏には境内に蓮の花が咲き誇る「蓮の寺」としても知られている。

歴史・由来

要法寺を理解する鍵は、寺の由来そのものが「平塚」という地名の由来と重なっている、という点にある。 社伝によれば、弘安5年(1282年)9月、日蓮が身延山久遠寺から池上本門寺へ向かう途中、この地にあった平塚左衛門尉泰知(北条泰時の子とされる)の屋敷に宿泊した。この屋敷地が、後に寺として整えられたのが要法寺の起源と伝わる。山号「松雲山」は、日蓮がこの地で説法した際に松の木に紫雲がたなびいたという故事にちなみ、寺号「要法寺」は法華経の教えの要点をまとめた「四句要法」にちなむとされる。 ただし、その後の経緯については伝える資料によって内容が異なる。「猫の足あと」やホトカミなどは、日蓮その人を開山とし、泰知が屋敷を寄進して創建されたと伝える。一方でWikipediaは、日蓮はあくまで宿泊しただけで、実際に屋敷を寺に改めたのは弟子の大乗阿闍梨日澄(にっちょう)であり、その後いったん廃絶した寺を身延山久遠寺17世の日新(にっしん)が再興した、という経緯を伝えている。どちらが正しいかは今回の調査では判断がつかなかった。 境内には、桓武天皇の孫にあたる高見王の娘・政子(まさこ)の墓と伝わる「平塚の塚」がある。政子が東国への旅の途中でこの地で亡くなり、盛り土の上面が平らだったことから「ひらつか」と呼ばれるようになり、これが「平塚」という地名の起源になったと伝わる。江戸時代の地誌「新編相模国風土記稿」にも、この塚が要法寺の境内にあると記されている。

見どころ・特徴

【地名「平塚」発祥の地】 境内にある「平塚の塚」は、市の名前そのものの由来になったと伝わる場所。寺を訪ねることは、平塚という地名のルーツをたどることでもある。 【蓮の寺】 7月中旬ごろ、境内に並べられた多数の鉢で30種ほどの蓮が花を咲かせ、「蓮の寺」として写真愛好家にも知られている。蓮の花は昼過ぎには閉じてしまうため、見るなら午前中がおすすめ。 【湘南ひらつか七福神】 「湘南ひらつか七福神」のひとつとして、毘沙門尊天を祀っている。福徳と勇気を授ける神として親しまれている。 【訪ねかた】 蓮の花を目当てに訪ねるなら、7月中旬までの午前中が狙い目。開花期間中は早朝から門を開けているとの紹介もあるので、事前に問い合わせておくと安心。
年中行事・お祭り
【蓮の花】例年7月上旬〜中旬 境内の鉢で30種ほどの蓮が咲く。午前中が見ごろ。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず寺へ直接お問い合わせください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
本尊
三宝祖師像(さんぽうそしぞう)毘沙門尊天(びしゃもんそんてん)
創建
弘安5年(1282年)、日蓮が身延山久遠寺から池上本門寺へ向かう途中に宿泊した平塚左衛門尉泰知の屋敷地を起源とする。開山者については、日蓮その人とする説と、弟子の日澄とする説がある。
ご利益
福徳成就勝運
テーマ
湘南ひらつか七福神蓮の花
この場所を巡る軸
基本情報
住所
神奈川県平塚市平塚4-10-10
公式サイト
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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