この寺について
東京都大田区南雪谷の住宅街にある、日蓮宗のお寺です。山号は照光山(しょうこうざん)。江戸時代のはじめ、元和二年(1616)の創建と伝わります。江戸幕府の宗教弾圧に巻き込まれて本寺が入れ替わったという、日蓮宗の歴史を映す由緒をもっています。
歴史・由来
このお寺の歴史を知る鍵は、「どのお寺に属していたか」が途中で変わったことです。
円長寺が開かれたのは元和二年(1616)です。開山(かいさん。お寺を開いた僧)は常照院日豊(じょうしょういんにちほう)で、寛永七年(1630)六月六日に亡くなったと、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』に記されています。
もとは碑文谷(ひもんや。現在の目黒区)にあった法華寺(ほっけじ)の末寺(まつじ。本山に属するお寺)でした。この法華寺は「不受不施派(ふじゅふせは)」という立場をとっていました。法華経を信じない人からは布施(ふせ)を受けず、その人には施しもしないという、日蓮宗の中の厳しい考え方で、相手が幕府であっても例外を認めませんでした。幕府はこれを禁じ、元禄十一年(1698)の大きな取り締まりで法華寺は取りつぶされ、天台宗の円融寺(えんゆうじ)に改められました。
本寺を失った円長寺は、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の末寺に移ることになりました。その時期は元禄十一年から十二年(1698〜1699)ごろとされます。信仰のかたちをめぐる対立が、住宅街の一つの寺の所属にまで及んでいたわけです。
『新編武蔵風土記稿』には、当時の境内のようすも書かれています。五間に六間の客殿、正徳二年(1712)の銘がある鐘楼(しょうろう)、三十番神(さんじゅうばんじん。法華経を守るとされる三十の神)をまつるお堂。さらに墓地には古い碑があり、かろうじて「元亨(げんこう)」の二字が読めた、とあります。元亨は1321年から1324年、鎌倉時代の年号です。お寺が開かれるより三百年ほど古く、この土地に早くから人の営みがあったことをうかがわせます。ただし、これらが今も残っているかどうかは確認できていません。
見どころ・特徴
【暮らしに寄りそう住宅街のお寺】地元の檀家(だんか)の人たちがお参りする、日常に近いお寺です。江戸時代の宗教弾圧が一つの寺の所属まで変えた歴史を思い浮かべながら、静かに手を合わせることができます。
【江戸時代の記録に残る境内】『新編武蔵風土記稿』には、正徳二年(1712)の銘がある鐘楼と、三十番神をまつるお堂があったと記されています。現在も残っているかは確認できていません。
【墓地の古碑】同じ江戸時代の記録に、墓地に「元亨(1321〜1324年)」の二字が読める古い碑があったと書かれています。お寺の創建より三百年ほど古いものです。こちらも現存は未確認です。
【訪ねるときに】住宅街のお寺なので、静かにお参りしましょう。拝観の受け付けや行事の案内は確認できていないため、お出かけ前に寺へお問い合わせください。
学び・特徴
本尊
三宝祖師
宗派・寺格
日蓮宗/身延山久遠寺の末寺(もとは碑文谷法華寺の末寺)
創建
元和二年(1616)の創建と伝わる。開山は常照院日豊(寛永七年〈1630〉示寂)。創建の月は資料により異なる。
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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