この寺について
曹洞宗の寺院で、山号は武陽山(ぶようざん)。文亀元年(1501)、武蔵国の武将・中山家勝(なかやまいえかつ)が草庵を結んだのが始まりと伝わる。江戸初期に築かれたとされる庭園は「日本の名園百選」にも選ばれており、紅葉の名所としても知られる。幕末には戊辰戦争の一戦「飯能戦争」の本陣となり、堂宇の多くを焼失した歴史も伝える。
歴史・由来
能仁寺を理解する鍵は、この寺が武士の祈りの場として始まり、幕末の戦火をくぐり抜けて今に伝わっているという点にある。
文亀元年(1501)、武蔵七党(むさししちとう)のひとつ丹党(たんとう)の流れをひく武将・中山家勝(なかやまいえかつ)が、名僧・斧屋文達(ふやぶんたつ)を招いて草庵を結んだのが始まりと伝わる。その子・家範(いえのり)が、寺院としての姿を本格的に整えた。中山家は代々この寺を菩提寺とし、のちには黒田家もその菩提寺として縁を結んだ。境内には、家勝・家範・照守(てるもり)という中山家三代の墓が残り、飯能市の史跡に指定されている。
江戸初期には、本堂の裏手に庭園が築かれた。天覧山(てんらんざん)を借景とした池泉鑑賞式蓬莱庭園(ちせんかんしょうしきほうらいていえん)で、のちに「日本の名園百選」にも選ばれている。
幕末の慶応4年(1868)5月23日、彰義隊(しょうぎたい)から分かれた渋沢成一郎(しぶさわせいいちろう)率いる振武軍(しんぶぐん)が、能仁寺を本陣として新政府軍と戦った。これが「飯能戦争」と呼ばれる戦いで、関東地方における旧幕府方の組織的な抵抗としては最後のものとなった。わずか数時間の戦闘で振武軍は敗れ、能仁寺をはじめ周辺の寺や民家の多くが焼失した。現在の本堂は、昭和11年(1936)に再建されたものである。
見どころ・特徴
【池泉鑑賞式蓬莱庭園】
本堂裏手に広がる、桃山時代末期の様式を伝える庭園。天覧山を借景とし、落ち着いた趣きで知られる。「日本の名園百選」に選ばれ、飯能市指定の名勝となっている。拝観料を納めると、大書院庭園・中庭・本堂裏庭園をめぐることができる。
【紅葉の名所】
秋には境内全体が紅葉に染まり、飯能市内でも人気の紅葉スポットとして親しまれている。
【中山勘解由三代の墓】
境内には、創建に関わった中山家勝・家範・照守の三代の墓が残り、飯能市指定の史跡となっている。
【丹生神社】
境内の丹生神社(にゅうじんじゃ)の社殿は江戸中期の建立と推測され、飯能戦争で全焼した能仁寺の中で、唯一残る江戸時代の建築とされている。
【天覧山とセットで】
裏山の天覧山(標高195メートル、埼玉県指定名勝の第一号)へは、能仁寺の境内から登ることができる。山頂からの眺めとあわせて、歴史とハイキングを一度に楽しめる。
学び・特徴
本尊
毘廬舎那仏
宗派・寺格
曹洞宗の寺院で、山号は武陽山。庭園は飯能市指定名勝、中山勘解由(かげゆ)三代の墓は飯能市指定史跡となっている。
創建
文亀元年(1501)、中山家勝が草庵を結んだのが始まりと伝わる。その子・家範が、寺院として本格的に整えた。
テーマ
紅葉庭園戊辰戦争ゆかりの地
この場所を巡る軸
基本情報
住所
埼玉県飯能市飯能1329
参拝時間
境内は自由に拝観できる。庭園のみ有料(拝観料300円)で、拝観時間は午前9時ごろから午後4時ごろまで(時期により異なる場合がある)。年中無休とされる。詳しい時間は寺へ直接お問い合わせください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
西武池袋線飯能駅から徒歩約20分、または国際興業バスで約10分(天覧山下下車、徒歩約5分)。車なら、圏央道狭山日高(さやまひだか)ICから約15分。駐車場がある。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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