この寺について
臨済宗南禅寺派の寺院。御府内八十八ヶ所霊場・第9番札所。明治神宮(既)・東郷神社(既)のすぐ近く、原宿の都心に隠れた古刹。
歴史・由来
龍巌寺を理解する鍵は、臨済宗の高僧・喚室(かんしつ、峻翁令山禅師)を開山に仰いで生まれた、名主の屋敷から寺へと姿を変えた寺院だという点にある。
寺伝によれば、もとはこの地の名主・半右衛門(はんえもん)の屋敷で、邸内には鎮守として弁才天の社があった。半右衛門は、武蔵国秩父郡出身の高僧・峻翁令山禅師(喚室)をここに住まわせ、慶長年間(1596~1615)、屋敷を棄てて一寺としたと伝わる。『新編武蔵風土記稿』は、この年を慶長7年(1602)としている。一方で、現在は寛永7年(1630)を創建年とする資料も多い。喚室は元和8年(1622)に没しているため、1630年の創建であれば、喚室はすでに没した後に名目上の開山として迎えられたことになり、どちらが正確かは資料によって分かれる。喚室は、兜率山広園寺(八王子市)や光厳寺(児玉郡)など複数の寺院を開いた高僧で、没後「法光円明国師」の勅号を賜った。龍巌寺は、この広園寺の末寺として位置づけられている。
江戸時代には、境内に祀られていた弁才天が「蛇体弁天」「原宿の弁天」と呼ばれて信仰を集め、庭の名松「笠松(円座の松)」は『江戸名所図会』や『富嶽三十六景』にも描かれる江戸の名所だった。幕末の火災で寺運は一時衰えたが、明治30年(1897)頃までに復興した。明治7年(1874)には、熊野神社の別当寺・浄性院から大師堂が移され、御府内八十八ヶ所霊場の第9番札所となっている。
境内には、江戸後期の蘭方医・小関三英(こせきさんえい)の墓や、寛政5年(1793)建立の松尾芭蕉の句碑も残る。
見どころ・特徴
【大師堂】
明治7年(1874)、熊野神社の別当寺・浄性院から移された堂で、御府内八十八ヶ所霊場の第9番札所となっている。
【松尾芭蕉の句碑】
寛政5年(1793)建立の句碑。「春もやや けしきととのふ 月と梅」の句が刻まれている。
【蛇体弁天(原宿の弁天)】
境内に祀られてきた弁才天で、「蛇体弁天」「原宿の弁天」の異名を持つ。
【小関三英の墓】
江戸後期の蘭方医・小関三英の墓が境内に残る。
【かつての名松「笠松」】
江戸時代には「円座の松」と呼ばれる名松があり、『江戸名所図会』や『富嶽三十六景』にも描かれた。現在この松は枯れて残っていない。
都心・原宿の喧騒の中にありながら、檀信徒以外の立ち入りを制限しており、江戸の面影をひっそりと守り続けている寺院である。
学び・特徴
本尊
釈迦如来
宗派・寺格
御府内八十八ヶ所霊場・第9番札所。
創建
慶長年間(1596~1615)、名主・半右衛門が屋敷を喚室(峻翁令山禅師)に捧げて一寺としたと伝わる(『新編武蔵風土記稿』は慶長7年/1602年とする一方、寛永7年/1630年を創建年とする資料もある)。
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
住所
東京都渋谷区神宮前2-3-8
参拝時間
境内は檀信徒以外の立ち入りをお断りする旨の掲示があり、一般の拝観を前提とした寺院ではない。御朱印の授与は対応されているが、具体的な受付時間は確認できなかったため、訪問前の確認が望ましい。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
東京メトロ銀座線「外苑前」駅から徒歩約7分。都営大江戸線「国立競技場」駅から徒歩約9分。JR中央・総武線「千駄ヶ谷」駅から徒歩約11分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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