この寺について
浄土宗の寺院。永禄4年(1561)創建と伝わる古刹で、江戸時代には松本藩主・水野家の菩提所として保護を受け、寺号もその法名に由来する。境内には約120種のぼたんが咲き誇る「ぼたん寺」として知られ、槍ヶ岳(やりがたけ)を開山した播隆上人(ばんりゅうしょうにん)ゆかりの寺でもある。
歴史・由来
玄向寺(げんこうじ)を理解する鍵は、寺の名前そのものが、この寺を守った大名の法名に由来しているところにある。
寺の起源は永禄4年(1561)、長譽清光和尚(ちょうよせいこうおしょう)が浅間温泉の地に開いた「帰命山念佛寺(きみょうざんねんぶつじ)」にさかのぼる。寛永2年(1625)、西譽向順和尚(さいよこうじゅんおしょう)が現在の松本市大村へ寺を移し、「清光寺」と改めた。
転機となったのは、寛永19年(1642)に水野家が松本藩主となったことである。水野家は6代84年間にわたり松本城主を務め、その間、この寺を篤く保護した。2代藩主・水野忠職(みずのただもと)が亡くなるとこの寺に葬られ、その法名「道樹院殿信譽上昌玄向大居士(どうじゅいんでんしんよじょうしょうげんこうだいこじ)」にちなんで、寺号は「玄向寺」に改められた。裏山に築かれた水野家廟所は、今も松本市の特別史跡として大切に守られている。
江戸時代後期には、この寺がもうひとつの歴史の舞台となった。文政9年(1826)、僧・播隆(ばんりゅう)が、当時の住職・立禅和尚(りゅうぜんおしょう)に教えを受けるため玄向寺を訪ねた。播隆はこの寺を拠点に、裏山の女鳥羽の滝(めとばのたき)で修行を重ね、念仏講を組織して布教に努めた。やがて立禅和尚の紹介で案内人を得た播隆は、文政11年(1828)、43歳で槍ヶ岳の初登頂を成し遂げ、その開山者となった。玄向寺は今も播隆の足跡を伝える寺として、毎年追慕登山を続けている。
明治18年(1885)には戒譽隆説和尚(かいよりゅうせつおしょう)がぼたんを植え、これが現在「ぼたん寺」として親しまれる境内の始まりとなった。
見どころ・特徴
【約120種のぼたん】明治18年(1885)に植えられたのが始まりという境内のぼたんは、今では120種を数える。見頃の5月にはぼたん祭・雅楽演奏会も開かれ、多くの参拝者でにぎわう。
【播隆上人ゆかりの寺】槍ヶ岳を開山した播隆上人が拠点とした寺で、ゆかりの石像や掛軸が伝わる。裏山の女鳥羽の滝は、播隆が修行した場所と伝わる。
【水野家廟所】江戸時代に松本城主を務めた水野家の廟所が裏山にあり、松本市の特別史跡に指定されている。境内も松本市指定名勝。
【参道の石仏群】参道には信濃百番観音をはじめ150体を超える石仏が並び、静かな祈りの空間をつくっている。
学び・特徴
テーマ
ぼたんの名所
基本情報
住所
長野県松本市大村681
アクセス
車の場合、安曇野ICから約25分、松本ICから約30分、塩尻北ICから約35分。駐車場あり(第一〜三駐車場と新駐車場を合わせて約80台)。松本駅からはやや距離があるため、車の利用が便利。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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