この寺について
山梨県甲府市にある時宗(じしゅう)の寺院。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。鎌倉時代初期、甲斐源氏(かいげんじ)の一族・一条忠頼(いちじょうただより)の居館跡に建てられた仏堂を前身とし、正和元年(1312年)、一条時信(いちじょうときのぶ)を開基(かいき)、他阿真教(たあしんきょう)を開山(かいさん)として、時宗の寺として改めて開かれた。甲府城の築城にともなって現在の太田町に移り、江戸時代には甲府城主・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)の菩提所(ぼだいじょ)となった。明治10年(1877年)には本堂が山梨県最初の県会の議場として使われ、「山梨県議会発祥の地」としても知られる。
歴史・由来
一蓮寺(いちれんじ)を理解する鍵は、一つの寺が担ってきた役割の重なりにある。甲斐源氏(かいげんじ)ゆかりの尼寺として始まり、時宗(じしゅう)の寺院として生まれ変わり、さらに明治の世には山梨県政(けんせい)の出発点にもなった、という重なりである。
寺の起源は元暦元年(げんりゃくがんねん、1184年)にさかのぼる。甲斐源氏の一族・一条次郎忠頼(いちじょうじろうただより)が源頼朝(みなもとのよりとも)によって討たれた後、その夫人が主(しゅ)の菩提(ぼだい)を弔うため、忠頼の居館(現在の甲府城跡付近)を仏堂に改めたことが、一蓮寺につながる歩みの始まりとされる。その後130年近くは尼寺として続いたが、正和元年(しょうわがんねん、1312年)、一条時信(いちじょうときのぶ)を開基(かいき)、時宗二世の他阿真教(たあしんきょう)を開山(かいさん)として、時宗の男僧寺として改めて開かれた。
その後、武田氏(たけだし)の庇護(ひご)を受けて寺勢(じせい)を広げ、江戸時代には甲府城主となった柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が深く帰依(きえ)した。柳沢家は、開基である一条時信の後裔(こうえい)を称していたため、代々一蓮寺を菩提所とし、家宝を寄進するなど厚い関わりを持った。もとは現在の甲府城の位置にあったが、天正(てんしょう)11年(1583年)からの甲府城築城にともない、文禄(ぶんろく)2年(1593年)の完成前後に、現在の太田町(おおたまち)へ移ったとされる。
もう一つ、一蓮寺の歴史で欠かせないのが、明治(めいじ)10年(1877年)の出来事である。この年の5月7日から14日まで、本堂を仮議場(かりぎじょう)として山梨県最初の県会(けんかい)が開かれた。これは、全国的な府県会規則にもとづく正式な県会よりも2年早い開催で、「一蓮寺県会」として知られる。境内には昭和52年(1977年)に山梨県議会が建てた「山梨県議会発祥の地」の石碑が立っている。
時宗の寺院としての法人格は、戦後の一時期に単立(たんりつ)となっていたが、令和3年(2021年)に時宗との包括法人関係を結び、時宗の寺院としての立場に復帰した。
見どころ・特徴
学び・特徴
本尊
阿弥陀如来(あみだにょらい)
宗派・寺格
時宗(じしゅう)の寺院。令和3年(2021年)まで単立(たんりつ)だった時期を経て、時宗との包括法人関係を結び直している。境内には「山梨県議会発祥の地」の石碑があり、山梨県の近代史の上でも重要な場所として知られる。
創建
元暦元年(1184年)、甲斐源氏の一族・一条次郎忠頼の居館跡に建てられた仏堂を前身とする。正和元年(1312年)、一条時信を開基、時宗二世の他阿真教を開山として、時宗の寺院として改めて開かれた。
基本情報
住所
山梨県甲府市太田町5-16
参拝時間
拝観時間・拝観料を明記した資料は見当たりません。文化財の特別公開は期間を限って行われることがあるため、訪ねる前にお寺や公式サイトで確認したい。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR身延線「南甲府」駅から徒歩約15分(約1キロメートル)。甲府駅からはバスで約10分、または徒歩約25分から30分ほど。
専用駐車場の案内は見当たらず、車で訪れる場合は甲府駅周辺のコインパーキングなどを利用することになる。
すぐ近くには甲府城跡(舞鶴城公園)がある。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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