TabiShiri
史跡 京都市伏見区

寺田屋

てらだや

この史跡について
京都・伏見の港町にあった船宿(ふなやど)で、幕末に二つの大きな事件の舞台となりました。文久2年(1862年)には薩摩藩士どうしが斬り合った「寺田屋騒動」が起こり、慶応2年(1866年)には坂本龍馬が伏見奉行所の捕り方に襲われました。そのとき、のちに龍馬の妻となるお龍(りょう)が異変に気づき、龍馬に知らせたことで知られます。

歴史・由来

この場所を理解する鍵は、「淀川の舟運で人が行き交う伏見の船宿だったからこそ、幕末の志士たちが集まった」という点にあります。 【伏見の船宿】伏見は京都と大坂を結ぶ淀川の舟運の港町で、寺田屋は伏見でも五本の指に入る大きな船宿でした。 【寺田屋騒動】文久2年(1862年)4月23日、薩摩藩の島津久光(しまづ ひさみつ)が送った鎮撫(ちんぶ)の使者が、挙兵を計画して寺田屋に集まっていた藩内の急進派を説得しようとしましたが、うまくいきませんでした。斬り合いとなり、有馬新七(ありま しんしち)ら9人が命を落としました。 【龍馬の襲撃】慶応2年(1866年)1月24日の未明、寺田屋に泊まっていた坂本龍馬が、伏見奉行所の捕り方に襲われました。お風呂に入っていたお龍がいち早く異変に気づき、2階へ駆け上がって龍馬らに知らせました。 【戦火と再建】慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いで伏見の町は大きな被害を受け、寺田屋も焼けてしまいました。その後再建され、今は旅館と資料館として営まれています。

見どころ・特徴

【2階の部屋と階段】龍馬が泊まった2階の部屋、お龍が駆け上がった階段、お龍が入っていたお風呂が再現されています。 【寺田屋騒動の碑】寺田屋の跡には、寺田屋騒動で亡くなった薩摩藩士たちを記念する石碑が建てられています。 【伏見の町並み】京都と大坂を結んだ港町・伏見の雰囲気を、周りの町並みとあわせて味わえます。
この場所を巡る軸
基本情報
住所
京都府京都市伏見区南浜町263
アクセス
京阪本線「中書島(ちゅうしょじま)」駅から歩いて約5分。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

訪問記録

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