TabiShiri
神社 御朱印薩摩国一宮(枚聞神社とする説もある)/式外社/旧国幣中社/神社本庁別表神社 薩摩川内市

新田神社

にったじんじゃ

別名:新田宮(にったぐう)、新田八幡宮(にったはちまんぐう)

この神社について
薩摩川内市(さつませんだいし)の神亀山(しんきざん)という小高い山の頂上に鎮座する、薩摩国一宮(さつまのくにいちのみや)とされる神社です。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫で、天から地上に降りたと神話に語られる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀っています。神亀山には、瓊瓊杵尊の陵(みささぎ、お墓)とされる可愛山陵(えのみささぎ)があります。

歴史・由来

この神社を理解する鍵は、「神話の神さまのお墓がある山に建つ神社」という点にあります。 【神話と始まり】神社の伝えでは、瓊瓊杵尊はこの川内(せんだい)の地に千台(うてな)という高い御殿を建てて住み、亡くなったあと可愛山陵に葬られました。この神さまを祀ったのが新田神社の始まりとされています。 【平安時代から鎌倉時代】平安時代の古文書に「新田宮(にったぐう)」の名で登場し、薩摩国の守り神として朝廷からも信仰されました。承安(じょうあん)3年(1173年)に火事で社殿が焼け、その後、今の山頂に移されたと伝わります。また、八幡神(はちまんしん)を祀ったことから「新田八幡宮」とも呼ばれ、武士たちから大切にされました。 【島津氏の時代】鎌倉時代の初めから、島津氏と同じ先祖をもつ惟宗康友(これむねのやすとも)の子孫が「執印(しゅいん)」という役目を明治まで代々務めました。慶長(けいちょう)年間(1596年から1615年)には、島津義久(しまづよしひさ)が今の社殿のもとになる建物を造りました。 【明治以後】明治7年(1874年)、神亀山の可愛山陵が瓊瓊杵尊の陵と定められ、大正3年(1914年)には宮内省が直接管理するようになりました。神社は明治18年(1885年)に国幣中社(こくへいちゅうしゃ)という高い社格に列せられています。 【一宮について】新田神社は薩摩国一宮とされていますが、指宿市(いぶすきし)の枚聞神社(ひらききじんじゃ)を一宮とする見方もあります。

見どころ・特徴

【一直線に並ぶ社殿】本殿・幣殿(へいでん)・拝殿・舞殿(まいでん)・勅使殿(ちょくしでん)が一直線に並び、本殿の両わきの摂社と廊下でつながっています。このような配置は鹿児島県内でここだけで、県の有形文化財に指定されています。本殿は嘉永(かえい)3年(1850年)、拝殿・舞殿・勅使殿は天明(てんめい)4年(1784年)に造り替えられたと考えられています。 【本殿のかたち】本殿は周りをひさしで囲む造りで、お寺の建物に似た形をしているのが特徴です。 【神亀山と可愛山陵】神社が建つ神亀山は、亀のような形をした小高い山です。山の大部分は可愛山陵の区域になっています。 【石段と大楠】山頂の社殿へは石段を上ってお参りします。境内には御神木の大楠(おおくす)があります。 【宝物殿】銅鏡や古文書など、国の重要文化財を含む多くの宝物を所蔵しています。一般に公開されるのは、毎年8月7日の御宝物虫干祭(ごほうもつむしぼしさい)のときだけです。
年中行事・お祭り
【武射祭(むしゃさい)】1月7日 石段を降りて弓を射る行事です。 【早馬祭(はやうまさい)】3月21日 【御田植祭(おたうえさい)】6月、梅雨入り前 ヤッコ振り踊りが奉納されます。 【御神鏡清祭(ごしんきょうせいさい)】7月28日 【御宝物虫干祭】8月7日 宝物殿が一般に公開されます。 【例祭】9月15日 【御通夜祭(おつやさい)】10月最終土曜日 開催日・開催の有無・時間は変わることがあります。お出かけ前に必ず公式サイトで確かめてください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
主祭神
天津日高彦火瓊瓊杵尊天照皇大御神正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
社格
薩摩国一宮(枚聞神社とする説もある)/式外社/旧国幣中社/神社本庁別表神社
創建
創建の年ははっきりしない。鹿児島県神社庁は、祀り始めたのを貞観年間(859年から877年)と推定している。
ご利益
開運招福五穀豊穣安産守護交通安全
基本情報
住所
鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2
アクセス
JR・肥薩おれんじ鉄道「川内駅」から車で約5分。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

参拝記録

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