この城について
川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市にあった城です。江戸時代には江戸の北を守る重要な城として、幕府の重臣が代々城主を務めました。いまは1848年(嘉永元年)に建てられた本丸御殿の一部が残り、玄関と大広間、移築して復元された家老詰所(かろうづめしょ)を見学できます。東日本で唯一現存する本丸御殿とされ、日本100名城(19番)にも選ばれています。
歴史・由来
【交通の要所に築かれた城】
この城を理解する鍵は、川越が関東の交通の要所にあたる土地だったことです。1457年(長禄元年)、扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の上杉持朝(うえすぎもちとも)の命により、家臣の太田道真(おおたどうしん)・道灌(どうかん)父子が築いたと伝わります。
築城の中心になったのは道真だとする説と、道灌だとする説があります。当時は享徳(きょうとく)の乱と呼ばれる戦乱のさなかで、川越城は古河(こが)方に備える防衛線の一部でした。
【河越夜戦】
1546年(天文15年)、北条氏康(ほうじょううじやす)が、城を囲んでいた連合軍を夜の戦いで退けました。これが河越夜戦(かわごえやせん)で、日本三大夜戦のひとつに数えられます。
【江戸の北を守る城へ】
江戸時代に入ると、川越城は江戸の北の守りとして重んじられ、幕府の重臣が城主に任じられました。なかでも松平信綱(まつだいらのぶつな)は城を大きく改修して近世の城の形を整え、城下町の整備にも力を入れました。これが「小江戸」と呼ばれる今の町並みの土台になったとされます。
【いまに残る本丸御殿】
いま残る本丸御殿は、川越藩主の松平斉典(まつだいらなりつね)の時代、1848年(嘉永元年)に完成しました。もとは16棟、建坪1025坪の大きな御殿でしたが、明治維新のあとに取り壊され、玄関と大広間の部分だけが残りました。
家老詰所は1872年(明治5年)に福岡村(いまのふじみ野市)の星野家へ払い下げられていました。それを昭和63年度に現在の場所へ移して復元したものです。本丸御殿と家老詰所は、1967年(昭和42年)3月28日に埼玉県の指定有形文化財になりました。
見どころ・特徴
【現存する玄関と大広間】
1848年(嘉永元年)に建てられた本丸御殿のうち、玄関と大広間が残っています。大広間は36畳の広さで、長い廊下や杉戸絵(すぎどえ)も見どころです。内部は見学できます。
【家老詰所(かろうづめしょ)】
藩の家老たちが詰めて、日々の政治を行った建物です。いったん民間に払い下げられましたが、昭和63年度に現在の場所へ移して復元されました。
【三芳野神社(みよしのじんじゃ)】
本丸御殿の東にある古い神社で、川越藩や3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)とゆかりがあると伝わります。童謡「通りゃんせ」の発祥の地とされ、参道にまつわる話が語られています。
【中ノ門堀跡(なかのもんほりあと)】
松平信綱の大改修のときに、西大手門側から敵が入るのを防ぐために掘られたと推測されている堀の跡です。2008年(平成20年)から、市が堀と門の復元整備を進めています。
【富士見櫓跡(ふじみやぐらあと)】
三の丸(八幡曲輪)にあった櫓の跡で、天守の代わりを務めたとされます。名前は富士山が見えたことに由来するといわれ、いまは県立川越高校の校庭の南側にあたります。
学び・特徴
指定・選定
日本100名城(19番)/本丸御殿及び家老詰所は埼玉県指定有形文化財
築城
1457年(長禄元年)/扇谷上杉氏の上杉持朝の命により、太田道真・道灌父子が築いたと伝わる
テーマ
日本100名城戦国武将ゆかり
この場所を巡る軸
基本情報
住所
埼玉県川越市郭町2-13-1
見学時間
本丸御殿の開館は9時〜17時です(入館は16時30分まで)。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)、毎月第4金曜日(祝日の場合は開館)、年末年始です。観覧料は一般100円、高校生・大学生50円です。
日本100名城スタンプ(19番)は、本丸御殿の受付窓口で押せます。休館日は初雁公園休憩所で押印できます。
開館日・料金・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車・バス】JR川越駅・東武東上線川越駅、または西武新宿線本川越駅から東武バスで「札の辻」下車、徒歩約8〜10分。同じく東武バスの「市役所前」からは徒歩約7分。小江戸巡回バスなら「本丸御殿」下車すぐ。
【車】関越自動車道「川越IC」から約5〜6km。
【駐車場】無料、約50台。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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