愛媛県の城
16 件
松山城
城まつやまじょう
松山市
御城印別名「金亀城(きんきじょう)」「勝山城(かつやまじょう)」。慶長7年(1602)、加藤嘉明(かとうよしあき)による築城開始。安政元年(1854)に再建された現在の天守は、江戸末期の再建ながら本格的な近世の姿を残し、現存12天守のひとつに数えられます。天守をはじめ21棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
宇和島城
城うわじまじょう
宇和島市
御城印宇和島城(うわじまじょう)は、愛媛県宇和島市にある現存12天守のひとつです。築城の名手として知られる藤堂高虎(とうどうたかとら)が、文禄4年(1595年)にこの地を治めることになったのをきっかけに、中世の砦を近世の城へと造り替えました。堀の形をわざと五角形にするなど、随所に高虎らしい工夫が凝らされています。高虎が今治へ移ったあと、伊達政宗(だてまさむね)の長男・秀宗(ひでむね)が入り、以後9代にわたって伊達家が治めました。今も残る優美な天守は、2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が寛文年間(1660年代)に建て替えたものです。

今治城
城いまばりじょう
今治市
御城印築城名人・藤堂高虎の最高傑作と称される日本三大水城の一つ。 慶長7年(1602)着工、慶長9年(1604)完成。海水を引き込んだ広大な堀と、層塔型天守の先駆けとなった画期的な城。 天守閣
大洲城
城おおずじょう
大洲市
肱川(ひじかわ)のほとりに建つ城です。鎌倉時代の終わりに宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が築き、のちに藤堂高虎(とうどうたかとら)や脇坂安治(わきざかやすはる)が整えました。江戸時代の櫓(やぐら)4棟が残り、国の重要文化財になっています。天守は平成16年(2004)に、江戸時代の木組みの模型や明治の古写真をもとに木造で復元されました。
湯築城
城ゆづきじょう
松山市
中世伊予の有力大名・河野氏の本拠地として、約250年間にわたって伊予国の中心であった城。天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国攻めで開城・廃城。日本100名城・国指定史跡。
川之江城
城かわのえじょう
四国中央市
川之江城(かわのえじょう)は、愛媛県四国中央市の鷲尾山(標高約62m)の山頂にあった城です。延元2年(1337)に土肥義昌(どいよしまさ)が築いたと伝わり、伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ交通の要衝として、戦国時代に多くの争いの舞台になりました。現在の天守閣は、昭和61年(1986)に市制30周年の記念事業として建てられたものです。4階の展望台からは、瀬戸内海の島々やしまなみ海道を見わたせます。
能島城
城のしまじょう
今治市
戦国期、瀬戸内海を制した「村上水軍」三家のうち最強と謳われた能島村上家の本拠。 大島と伯方島との間の宮窪瀬戸(荒神瀬戸)に浮かぶ能島・鯛崎島の二島すべてが城郭という、世界でも稀有な海城。昭和28年(1953年)に国指定史跡。続日本100名城(178番)。
河後森城
城かごもりじょう
北宇和郡松野町
御城印愛媛県松野町の、伊予(いよ)と土佐(とさ)の国境近くにある戦国時代の山城の跡です。四万十川(しまんとがわ)の支流に囲まれた丘の上に、曲輪(くるわ、城の中の平らな区画)が馬のひづめのような形に並んでいます。発掘調査をもとに門や建物が復元されています。国の史跡で、続日本100名城にも選ばれています。
来島城
城くるしまじょう
今治市
来島海峡の急流に浮かぶ来島すべてを城郭とした、村上水軍三家の一つ・来島村上家の本拠。能島城と同じく「島そのものが城」という水軍城で、来島海峡は日本三大急潮の一つとして知られる。
大除城
城おおよけじょう
上浮穴郡久万高原町
中世伊予最大級の山城。標高694mの山頂を本郭とし、複数の郭・堀切・土塁を巧みに配する。河野氏の重臣・大野氏(おおのし)の本拠。土佐との国境を抑える戦略的要衝。
鹿島城
城かしまじょう
松山市
松山市北条の沖合400メートルに浮かぶ、周囲1.5キロメートルほどの小さな島「鹿島(かしま)」に築かれた海の城の跡です。戦国時代の終わりには、村上水軍の流れをくむ来島通総(くるしまみちふさ)が城主となりました。島は瀬戸内海国立公園に含まれ、今は市営の渡船で気軽に渡れる公園になっています。山頂の展望台からは瀬戸内の島々を見渡せます。
恵良城
城えりょうじょう
松山市
河野氏の祖が拠ったと伝わる、 河野郷を見下ろす標高302mの山城。 愛媛県指定史跡。河野氏発祥の聖地に近接し、平安末期から戦国期にかけて、河野一族の象徴的な拠点として機能した。
高峠城
城たかとうげじょう
西条市
伊予東部・新居郡(現西条市)にあった山城。石鎚山系の麓、標高233メートルの山頂に築かれ、伊予東部と讃岐・阿波方面を結ぶ街道を抑える戦略的要衝だった。南北朝期に河野氏によって築かれ、のちに家老の石川氏が城主となったと伝わる。
木浦城
城きうらじょう
今治市
伯方島(はかたじま)の中心・木浦港(きのうらこう)を見下ろす丘陵に築かれた城。平安時代末期の嘉応2年(かおう、1170年)ごろ、伊予の豪族・河野氏(こうのし)の家臣であった紀氏(きし)によって築かれたと伝わる。承久3年(じょうきゅう、1221年)の承久の乱(じょうきゅうのらん)で滅んだのち、戦国時代には村上水軍(むらかみすいぐん)・能島村上氏(のしまむらかみし)によって、伯方城(はかたじょう)の支城(しじょう、出先の城)として再び使われたとみられる。現在は「伯方ふるさと歴史公園」として整備されているが、模擬天守(もぎてんしゅ)を含む館内施設は2021年3月から休止中(2026年現在も再開情報なし)。
甘崎城
城あまざきじょう
今治市
瀬戸内海に浮かぶ小さな島「古城島(こじょうじま)」全体を城郭とした、珍しい海城(うみじろ)跡。天智天皇10年(671年)ごろの築城と伝わり、戦国時代には村上水軍の一つ・来島村上氏(くるしまむらかみし)の拠点となった。江戸時代初め、藤堂高虎(とうどうたかとら)によって総石垣造りに改修されたと伝えられる。大潮の干潮時には対岸の大三島(おおみしま)から歩いて渡れることがある。
鵜島城
城うしまじょう
今治市
鵜島(うしま)に築かれた、能島村上家の支城。 能島城本城と一体となって、瀬戸内海最強の海賊勢力・能島村上家の本拠地ネットワークを構成した。現在は無人島で、城跡は雑木に覆われているが、地形にかつての海城の名残を留める。