テーマ「下町」 × 東京都の神社
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素盞雄神社
神社すさのおじんじゃ
荒川区
御朱印素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は、東京都荒川区南千住にある神社です。 社伝では、延暦14年(795年)に創建されたと伝えられます。 素盞雄大神と飛鳥大神(あすかのおおかみ)をお祀りし、疫病を祓い、福を増し、この土地を栄えさせるという神託が創建の由来とされています。 毎年6月3日の天王祭には、荒川区と台東区にまたがる61ヶ町の氏子が加わります。 境内には、松尾芭蕉の「奥の細道」矢立初めの句碑や、創建の由来とされる瑞光石があります。
尾久八幡神社
神社おぐはちまんじんじゃ
荒川区
御朱印尾久(おぐ)一帯の総鎮守(そうちんじゅ)で、都電荒川線(東京さくらトラム)の宮ノ前停留場の目の前にある八幡神社です。創建の年ははっきりしませんが、鎌倉時代の終わりごろに八幡神(はちまんしん)をお迎えしたと伝えられ、至徳2年(1385)の棟札(むなふだ)も残っています。江戸時代には旧上尾久村・旧下尾久村・旧船方村の三つの村の鎮守でした。御祭神は応神天皇で、農業・工業・商業の神として地域の人びとに信仰されてきました。
諏方神社
神社すわじんじゃ
荒川区
御朱印日暮里・谷中の鎮守。元久2年(1205年)に信州諏訪大社から勧請して創建された。西日暮里駅から徒歩3分の好立地ながら、高台の石段を上がると静謐な境内が広がる。

深川神明宮
神社ふかがわしんめいぐう
江東区
御朱印深川を開拓した深川八郎右衛門が伊勢神宮の御分霊を奉斎した深川の総鎮守。 天照大御神を祀る神明宮として、江東区の歴史と深く結びついている。
猿江神社
神社さるえじんじゃ
江東区
御朱印康平年間(1058年)頃の創建と伝わる江東区の古社。源頼義の家臣「猿藤太」が当地で没したという伝説から「猿江」の社名がつき、稲荷社として信仰を集めてきた。
天祖神社
神社てんそじんじゃ
江東区
御朱印亀戸にある古い神社で、天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)をまつっています。推古(すいこ)天皇の時代に創建されたと伝わります。昭和4年に建てられた社殿は東京大空襲でも焼けずに残りました。亀戸七福神の福禄寿(ふくろくじゅ)がまつられているほか、毎年9月には子どもたちによる流鏑馬(やぶさめ)の行事が行われます。
宇迦八幡宮
神社うかはちまんぐう
江東区
御朱印江東区千田にある神社で、旧千田新田(せんだしんでん)の鎮守(ちんじゅ)です。江戸時代の享保(きょうほう)のころ、近江(おうみ)出身の千田庄兵衛(せんだしょうべえ)が土地を開き、千田稲荷神社(せんだいなりじんじゃ)としてまつったと伝わります。戦後に宇迦八幡宮と改められました。飢えた農民が片栗(かたくり)を育てて救われたという話から、「片栗八幡宮」とも呼ばれました。祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)と應神天皇(おうじんてんのう)です。
富賀岡八幡宮
神社とみがおかはちまんぐう
江東区
富賀岡八幡宮(とみがおかはちまんぐう)は、江東区南砂にある神社で、「元八幡(もとはちまん)」の名でも親しまれています。旧砂村新田(すなむらしんでん)の鎮守(ちんじゅ)で、深川の富岡八幡宮の元宮と伝わります。境内には、江東区指定有形民俗文化財の「砂町の富士塚」があります。
志演尊空神社
神社しのぶそんくうじんじゃ
江東区
御朱印寛永元年(1624年)創建の稲荷社を起源とする神社。5代将軍・徳川綱吉から「志演神社」の名を賜り、疫病退散の護摩を焚いた故事から「ごまの稲荷」と庶民に親しまれてきた。
亀戸浅間神社
神社かめいどせんげんじんじゃ
江東区
御朱印亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ)は、江東区亀戸にある、富士山の神さまをまつる神社です。「お富士様」の名で親しまれています。大永7年(1527)に、里の人びとが甘露寺元長(かんろじ もとなが)にお願いして、笄塚(こうがいづか)の上に創立したと伝わります。祭神は木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)で、開運・縁結び・安産・子育ての神さまとして信仰されています。
愛宕神社
神社あたごじんじゃ
江東区
御朱印元は武蔵国葛飾郡中之郷村に鎮座していた古社。寛永年間(1624〜44年)に現在の大島に転社。火の神・迦遇突智神を祀り、火難除け・防火の御神徳で知られる。
大島稲荷神社
神社おおじまいなりじんじゃ
江東区
御朱印慶安年間(1648〜52年)創建。津波による耕地荒廃に悩んだ大島の村人が京都・伏見稲荷大社の御分霊を迎えて創建した産土神社。災難除け・衣食住・出世開運など広大な御神徳で知られる。

正木稲荷神社
神社まさきいなりじんじゃ
江東区
御朱印江東区常盤にある稲荷神社で、小名木川(おなぎがわ)に架かる万年橋(まんねんばし)の近くにあります。創建の年は分かっていませんが、江戸時代にはすでに知られ、『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』にも登場します。かつて境内に柾(まさき)の大木があったことから「柾木稲荷(まさきいなり)」、橋の名から「万年橋稲荷」とも呼ばれました。腫れ物(はれもの)が治るよう願う人が、治るまでそばを断つ信仰が伝わります。